| 1、釣りとは?について
釣りは大きく2種類に分類できます。1つ目は水中に生息する生き物(魚、甲殻類、軟体動物等々)の釣り。2つ目は陸に生息する動物(メス)を釣る(?)陸釣り(ここでは磯釣りや投げ釣りを意味していません!これについてはこれ以上説明をしません)。本項では1つ目の釣りについて、その面白さなどを追求したいと思います。もちろん、漁労としての釣りではなく、趣味としての釣りです。さて、釣りは水中に生息する生き物の種類と同じくらい多くの釣り方があります。大きな意味では投網なども釣りの一種と考えてよいと思います。本項では投網や追い込み漁も、釣りの中に含めます。よって本項では水中生物(タガメなどの水生昆虫は含めませんが、貝やタコ、エビなども含めます)を捕獲する方法を「釣り」と定義します。釣りは、一般的には糸と針と竿を用いて魚や甲殻類、軟体動物を針に引っ掛けて捕獲するものと考えられていますが、ザリガニ釣りなどでは、針を使わず、直接糸にスルメなどのエサを結んで、エサに夢中になっているザリガニを玉網ですくう方法があります。また、竿を用いない釣りは多く存在するので浮きなどと同様、釣りに必要不可欠な道具ではありません。では糸のない釣りはあるか?あります。竿の先に針(熊手のようなもの)を付けてタコを捕獲する方法があります。また、ウナギ釣りでは竿先に針を結んで、そこにミミズを付け、川のテトラポットの間に差し込んで釣る方法があるとのことです。(多分、千葉県木更津市の小櫃川河口で行われていた釣り方ではないかと思いますが?)要するに釣り道具で釣りを定義することは適当とは思いません。特に「釣りの楽しみは?」と聞かれれば、「水中に生息する生物を捕獲すること」にあるわけで、道具はなんでもよいのです。手掴みで魚を捕獲したり、ビンドウ(セルビン)を使用して一網打尽にタナゴやクチボソをとったり、銛で魚を刺すのも「釣り」の一種です(ほんとか?)。少なくとも、本項ではそのように勝手に定義することとします。また、釣りについては従来から、放置された釣り糸が鳥に絡まるなどの害や、釣り人による漁港の汚染や作業妨害などが問題視されています。更に、釣り禁止地域に入って、高波にさらわれる等の事故を起こし、漁師の方々に迷惑を掛ける方も存在します。このような理由から釣りに悪意を抱いている方もいると思いますが、本項ではそれらの問題について深く追及しません。そのような問題を起こす人間は釣りをする資格がない以上に、人間としても失格です。議論する価値はありません。釣りを趣味としている人にとっては大迷惑です。問題外です!
また、本項では船を用いた釣りは扱いません。私は船酔いが激しいため、船での釣りはこれまでに2回のみです。更に、魚探を用いた釣りは私の趣味に合いません。なぜならば、私が釣りで最も面白いと思うことは「釣り場探索」です。良く釣れる釣り場であって、しかも私のみが知っている場所を探すことです。釣り船を生業とする元漁師さんには申し訳ありませんが、これは私の釣りに対する取組方ですので、ご容赦ください。
なお、このような方針が気に入らない方は、本項を読むことをお薦めいたしません。よってそのようは方は、これ以上本文を読まないでください。読んで不愉快になったとしても、私は一切の責任を負いません。
2、釣りの歴史について
魚釣りは石器時代から行われていましたが、趣味としての釣りは、日本では江戸時代になってからだそうです。加賀藩や庄内藩では、家来に釣りを奨励したそうです。吉良上野介の娘婿の津軽采女正に至っては、「釣魚秘伝.河羨録」という釣り入門書を書いたとのことです。また、江戸時代の三大道楽として「釣り、園芸、文芸」があげられています。(「飲む、打つ、買う」は三大道楽ではなく三悪道楽?)江戸後期には庶民の間でも釣りが盛んになりました。明治以降になると、多くの文人や政治家にも釣りを趣味にする人が増えてきました。西郷隆盛候は狩猟のみならず、釣りが大好きであったようで、「垂釣」という七言絶句を残しています。その中に「誰か知らん高人の別天地」という一句があります。明治の動乱期において、釣りで心を静めつつ、日本の将来に思いを馳せていたのかもしれません。(今の日本は彼が心に描いたものに近いのでしょうか?)釣りは、大正、昭和と時代が進むにつれて、ますます盛んになりました。交通機関(特に鉄道網)の発達が釣りを盛んにさせた一助と思います。そして、幸田露伴、井伏鱒二、種田山頭火、国木田独歩、開口健など釣り名人(?)が多く輩出されました。また、欧米では、有名なアイザックウォルトン著の「釣魚大全」が1653年に出版されています。この頃すでに欧米では釣りが趣味になっていたと思われます。アメリカではヘミングウェイの釣り好きが有名です。彼の著書の「老人と海」は一読の価値があると思われます。中国では太公望が有名ですが、1195年の場遠の絵にリールを用いて釣りをする人物の絵が描かれており、かなり古くから釣りが盛んに行われていたことがわかります。中国の古い諺に、
1日幸福でいたかったら、床屋にいきなさい。
1週間幸福でいたかったら、結婚しなさい。
1ケ月幸福でいたかったら、良い馬を飼いなさい。
1年幸福でいたかったら、新しい家を建てなさい。
1生幸福でいたかったら、釣りを覚えなさい。
とあります。ただ、釣りを批判する人もいます。英国のサミュエル・ジョンソン(文学者)は「釣竿は一方に針を、もう一方の端に馬鹿者をつけた棒である。」と言っています。趣味とは、「それをしたことのない人にとっては馬鹿者のすることのように感じるもの」かもしれません。
さて、前述のごとく、釣りといってもその種類は非常に多く、その全てに通じている人は非常に少ないと思います。一般的には一人の人が数種類の釣りを行いますが、ヘラブナ釣り、バス釣り、黒鯛釣り、アユ釣りなどは、それ専門に行っている方が多くいます。そのような方々は自分を「名人」と称し、それぞれの魚の釣り大会に出場し、優勝することに命(?)をかけているかのごとくに思えます。各自独特の釣り理論(?)に従って、仕掛けからエサや釣り場、釣り時間まで拘って、競技釣りに熱中しています。まさに、釣りはゲームであり、スポーツなのです。嘗て、釣りはオリンピックの競技種目でした。2日間の釣り競技が1900年に開催されたパリオリンピックで行われました。また、2000年のシドニーオリンピックではキャスティングが検討されたそうです。(ただし、実施はされませんでした。)今後、釣りがどのような歴史をたどるのかわかりませんが、私としましては、将来オリンピック種目になることを期待(?)しています。千葉から伊豆半島に掛けての海釣りならば、金メダルを狙う自信があります。(東京オリンピックでは話題にもならなかったようですが…。)
3、釣りと法律について
釣りや漁業に関しては、サケの内水面での採捕禁止など、漁業法や水産資源保護法によって規定されています。また、遊魚(海や河川での竿や糸や針を使用しての釣り)は内水面と海面とに分かれて各都道府県毎に規制されています。内水面(淡水)に関しては、釣りをする場合、殆どの大きな河川や湖沼では遊魚料が必要となります。また、投網などは禁止されているところもあります。海での釣りは、アワビやサザエ、イセエビなどの資源保護が必要な魚介類の捕獲は禁止されていますが、港湾付近の釣り禁止区域を除き、比較的広い地域の海岸で釣りは可能で、遊魚料も必要ありません。ただ、海面を有する都府県では、都府県毎に釣り方や採捕が規制された魚介類が異なるため、条例などを確認した方が良いと思います。なお、淡水魚に関しては1949年の新漁業法によって第5種共同漁業権が制定されるまで、内水面と海面の区別がなく、またその後の水質汚染や漁業組合員の数の減少、外来種やカワウの増加による被害の拡大など、経営難に陥っていました。2014年に「内水面漁業の振興に関する法律」が制定されましたが、内水面漁業は殆ど見向きされていません。淡水魚はマスやアユ、ウナギなど僅かな種類の魚しか食卓に出ることはなく、今後益々淡水魚の管理は困難になると思われます。また、内水面の釣りも外来種の増加や、河川工事によって、釣り魚の種類はもとより、釣り場所、釣り道具、釣り方法など、ここ数十年の間に大きく変化してきてます。更に釣り人の数も減少傾向にあります。釣りは自然が相手なので、狩猟や鷹狩りなどと同様、自然が荒廃すれば、衰退していきます。何れ海の釣りも遊漁料が必要になり、そして衰退していくかもしれません。人が身近に自然と対話する機会は益々減少することになるのでしょう。法律だけでは改善できないでしょう。
なお、法律とはなんでしょう?なぜ、(道交法を除いて?)六法全書を読まなくても一般的には法に触れないで生活できるのでしょうか?法律は私達の習慣をまとめたものだからです。良い(と思っている)習慣に則って生活をし、悪い(と思っている)習慣を排斥したものが法律です。法律は私達の生活習慣が基本になってまいす。だから禁煙が簡単に法制化できないのです。一度できた習慣はそれが悪いと解かっていても、簡単にそれを禁じることはできません。長期に渡って辛抱強く悪い習慣に甘んじる方々を説得しなければなりません。したがって、悪い習慣になりそうだと思ったら、それが広がらない内に早期に法整備した方がよいと思います。また、自然を保護したいと思ったら、積極的に釣りや登山などを行い、それを習慣化し、そして法によって釣り場所の確保や登山道の整備などの法の整備を行うべきかもしれません。パソコンでのゲームを否定はしませんが、野外の釣りも面白いと思います。自然保護のために釣りをしてください。遊漁料は魚の放流や自然保護のための河川整備に使用されています。(と行政機関は言っています。本当か?)
4、釣りと動物虐待について
日本では動物虐待に関する法律として、動物愛護管理法があります。一般に動物とは、運動能力と感覚器官を持った多細胞生物で、哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類、魚類、貝類、昆虫などが含まれますが、この法律では主に、哺乳類、鳥類、爬虫類が対象であり、両生類、魚類、貝類、昆虫などは動物一般としての記述しかなく、曖昧です。要するに、人間の立場から、動物を高等動物と下等動物に分類し、動物愛護法は高等動物にのみ適用することになっています。イギリスでは魚類も飼育下にあるものは対象になっており、高等動物に分類(?)しているようです。これは文化(特に宗教や食文化など)の違いによるもので、クジラやイルカについても、海外との感覚の違いはかなり大きいと思います。私がカナダのご家庭を訪問したとき、サーモンのバーベキューをして頂きました。このときサーモンは既に完全にサバかれた状態でした。そのような状態で売られているとのことでした。日本のように「塩サケ一本」を売ることはないようです。彼女は「魚が私を睨んでいるようで魚をサバクことはできません」といっていました。魚に対する感覚がまるで違うようです。「生命」を意識する対象が、人によって異なるということです。徳川家光の「生類哀れみの令」などはその例だと思います。ただし、一般には哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類、魚類、貝類、昆虫の順で生命を意識する感覚が鈍ってくるように思います。「虫も殺せない人」という表現がありますが、要するに、一般の人は「虫は殺せる」ということです。魚類はちょうどその境にあって、魚を犬や猫のように感じる人もいれば、昆虫に近い感覚を持っている人もいると思われますが、日本の動物愛護管理法では、両生類、魚類、貝類、昆虫は尊重すべき生命から一歩遠ざかっているように思えます。要するに、そのような感覚が日本人の感覚であり、イギリス人やカナダ人とは魚に対する感覚が違っているということです。魚釣りが生命の尊重や友愛の精神を脅かすもので、動物虐待に当たるかどうかは、感覚的な問題であり、少なくとも日本においては「動物虐待には当たらない」と一般的には考えて良いと思いますが、いかがでしょうか?ある人はスポーツフィッシングは虐待であるが、食するために魚を釣っている場合は動物虐待には当たらない、という方もいます。確かに、漁師さんがみな動物虐待をしているとは思われませんが、なにかスッキリしません。要するに、人は自分達の都合にあわせて、自然と向きあってきたわけですので、釣りを趣味とすることが動物虐待にあたるかどうかは、日本人の場合は日本の動物愛護管理法で判断することが適当だと思います。法に触れなければ、なんでもOKという訳ではありませんが、日本の習慣においては、釣りそのものは動物虐待にはならないと思います。(動物虐待は動物の立場で考えるのではなく、人間の立場で考えることが必要?)。なお、私は、釣り糸を放置することを避けるため、道糸とハリスの太さの差をなるべき大きくし、長い糸が水中に放置されて、鳥類がそれに絡まることを防止しています。私の仕掛けは道糸:4号、ハリス:1.5または1.7号で60cm長が一般的です。ハリスは1m以上の長い方が釣果が上がりますが、なるべく短くすべきと思います(念のため)。カジノやパチンコ、競馬、競輪など、楽しいことほど節度が肝要です。でないと、必ず批判されます。また、釣った魚を岸壁に放置するような動物虐待と思われるような釣り方は止めたほうが良いでしょう。(尚、人にはサドやマゾなど、虐待を楽しむ傾向を持つ人が存在することも確かなことです。多分ここにホモサピエンスの限界が存在するのでしょう。)
5、釣りと名人について
どんな趣味でも、名人はいます。ただ、つりの場合はクロダイ釣り名人やテンカラ釣り名人、アユ釣り名人のように、釣りの前に釣り方や魚種が「〜名人」のように付きます。更に「釣の風土記」(亀井巌夫著)に記述されているように、名人とは言わず、仙人と呼ぶ場合もあるようです。要するに、全ての釣りに長けている名人はなかなかいないようで、少なくとも私は知りません。要するに、それほど釣り方の種類が多くあるということです。名人は釣りの仕掛け(道具)、場所、時間、エサなど全てに拘りや工夫があり、その技法は秘伝として他人には簡単に教えないのが普通です。このため、多くの人がその秘法を学ぶ(盗む?)ために色々と努力しているようです。井伏鱒二は「釣りは盗むものだ、聞くものではない」と言っています。私は、名人らしき人を見つけたら、「今日は風があいにくですね!」とか「アタリはありますか?」とか言いながら近づき、まず釣竿とエサを見ます。名人と言われる人の多くは道具とエサに凝ってまいす。ただし、練り餌や寄せ餌は見ただけでは、その中身は簡単には解かりません。匂いや、エサを撒いたときの感じと、雑誌などの情報を元に想定します。寄せ餌は通常数種類の混合となるため、やはり、自分で工夫することになります。だた、名人の多くは毎年同じ時期に同じ場所にやってきます。このため、名人が来る前にその近くに陣取って、それとなく名人(らしき人)のエサや仕掛けをチラチラ見て、研究します。もちろん、これは物真似をするためのものではなく、最終的には各自が工夫することになります。この工夫が楽しいのです。エサはもちろんのこと、浮きなどの仕掛けを工夫することが大変楽しいのです。ではなぜ、人の仕掛けを盗むのか?わかりません!人は物を盗むことには罪悪感を覚えますが、ノウハウなどの知的財産については、あまり罪悪感を感じないのかもしれません。いやむしろ逆に、ノウハウを盗んだ後に、シテヤッタリ!というような感覚に襲われます。(悪いこととは知りつつも!ほんとか?)中国はアメリカとの間で知的財産についてのトラブルを抱えているようですが、日本も知的財産についてはかなり疎いと思います。要するに、「弟子は師匠の技術を盗むもの」というような考え方が根底にあるのではないかと思います。そして、名人(らしき人)に会う度ごとに、その漁法を盗み見て、より高度(?)な釣り技術を得たと密かに微笑みつつ、やがて、自分も名人の領域になったと思える頃には、年を取って、釣りにいけなくなるのかもしれません。多分、その方が魚にとっては都合がよいことかもしれません。
なお、釣りの道具や仕掛けにも多くの特許が存在します。1960年代で有名なのは遠矢氏発明の黒鯛釣り用の浮きです。彼の浮きは浮き自身に錘が付いたもので、「遠矢浮き」と呼称され、風に強いことが特徴です。現在でも多くの方が黒鯛やメジナ釣りで使用しています。特許でどの程度儲けたは知りませんが、千葉県の白間津付近に居を構え、悠々自適の暮らしぶりだったとか?私も特許をとりたいと、多くの実験的仕掛けを作成しましたが、まだ特許化していません。何れ何とかしたいとは思っていますが…。
また、釣りのノウハウで最も重要なことは「釣り場×釣り時期」です。私は、これを誰にも教えていません。それに比べれば、竿やエサや釣針はどうでも良いかも。ただし多くの名人と称する人達は全ての道具類に拘っているようです。これは釣りだけではなく、ゴルフやテニスなど全ての趣味に共通していることです。ただし、このことをバカにしてはいけません!この傾向は趣味の道具類を製造している業界にとって大切なことです。経済活動を活性化する源です。裕福な方はぜひ高価な道具を買ってください。裕福な方で、お金を使わずに溜め込んでしまう方は最悪です。なお、最も尊敬される金持ちは、大金を寄付できる方です。念のため!
6、釣りと外来種について
最近、魚やカメなどの外来種の問題が大きく取り沙汰されています。ブラックバスやアカミミガメ、カミツキガメなど、それを捉えるTV番組が好評であるとのことです。これは魚類やカメだけの問題ではなく、インコなどの鳥類やアライグマなどの哺乳類、またセイタカアワダチソウなどの植物も含め、ありとあらゆる動植物において、外来種の問題がクローズアップされています。もちろん、気候条件や水質・水温などによってある程度の制約はありますが、日本のような島国では、外敵が少ない条件化で生息してきた動植物が多く存在します。このため、外来種によって在来種の生存が脅かされる場合が、往々にしてあります。よって、在来種の保護の観点においても、外来種の撲滅は必要かもしれません。ところで、外来種は勝手に日本にやってきた訳ではありません。人が運んできたものです。これを、必要がなくなったからといって、勝手に殺してもよいものかどうか?動物愛護の観点からは疑問が残ります。特に、ブラックバスについては、その為の釣り道具がかなり販売されています。ブラックバスは、現在ほとんどの河川に存在します。あと100年もすれば、準在来種となるかもしれません。これを早めるためには、食用化を進めることが適切かもしれません。ホンビノス貝は北アメリカ原産ですが、現在は東京湾で採れ、漁業として成り立っています。人の役に立つ外来種は歓迎です。在来種の保護より、人の役に立つことが優先です。また、ブラックバス釣りが盛んになり、一大産業となれば、多分ブラックバスを駆除したいという意見は無視されるようになると思います。釣り愛好家の皆さん!ブラックバス釣りを流行らせる方法を考えましょう!そのためには、釣りのノウハウを公開することが必要かもしれません。名人の皆さん!秘密主義を放棄し、ブラックバス釣りにもっとも良いルアーを公開した方が、ブラックバス保護のために役立つかもしれません。世界的にブラックバスが生存するようになれば、ブラックバス釣りがオリンピック競技に取り入れられるかもしれません。人や物のみならず虫や雑菌も含め全ての生物は、世界中に散らばる時代になってきていると思います。これらを完全に防止することは不可能です。あらゆる生物や物がグローバル化し、世界的に強者が生き残る世界が到来しているのかもしれません。弱者に勝機があるとすれば、人間の前頭葉の発達による理性の向上が必要不可欠のような気がします。(なお、以上の意見には何の根拠もないことを付記します。また、人間の前頭葉はそう簡単には発達しませんので、弱者は慎重に対処方法を考慮する必要があるかもしれません。)
7、釣りと魚の習性について
やはり、釣りをする上でもっとも重要なことは魚の習性を熟知することでしょう。魚の住処、釣れる時期、食性など多くの習性を研究する必要があります。この中で当たり前な事ではありますが、「魚がいる場所と時期」を特定することです。ここで「場所と時期」と記しましたが、場所を時期と切り離して特定することはできないことに注意すべきです。水のあるところに行けば魚が釣れると思っている方が結構多くおられることにビックリしますが、回遊魚はもちろんのこと、魚の多くは朝、昼、晩でいるところが異なります。しかも平面的な場所の違いのみならず、深さ方向(水深)も天候や水温などによって変化します。これらをすべて考慮すると、年間で釣れる時期や場所がかなり限られてくることがわかります。また、魚はそのエサとなる生物がいる場所によって、岩の多い所を好むもの(メジナなど)や、砂地を好むもの(キスなど)など千差万別です。これは全ての生物に共通のことで、食物のないところに生物がいないのは当然です…と思われますが、ここが問題です。このままでは日曜釣り師が釣果をあげることがかなり困難になります。なんとか普段は魚がいない場所に魚を呼び寄せることができないか?できます。それが「寄せ餌」です。魚の多くはアミノ酸を好みます。アミノ酸を多く含む粉を水辺に撒いて、魚を寄せて釣ることが一般的に行われています。ところがこれが問題なのです。海の岩場等で寄せ餌を撒くと、「岩が死ぬ」と言われています。岩には多くの海藻や小魚が生息していますが、寄せ餌の成分がそれらを死滅させるため、それを食べている魚や特に貝類が生息できなくなることが問題となります。このため、寄せ餌を禁止しているところが多く存在します。特に港の防波堤などでは、堤防の壁に赤いペンキで「撒き餌禁止」と書かれているのを散見します。(ただし、私見では寄せ餌よりも、下水からの洗剤が混入した汚水の方が問題であると思っていますが…)私は直接岩に寄せ餌が当たらないように「カゴ」を利用しています。そのほうが使用する寄せ餌の量が少なくて済みます。ただし、浮きの感度が落ちるためカゴの大きさや材質などの選択に注意しています。(プラスチックの糸で作られたものが良いように思います。)また、クロダイ釣りでは、ダンゴ釣りが有効かと思います。
また、釣りの時期については、アジなどの回遊魚の釣りでは特に重要です。神奈川県平塚海岸のシーラや千葉県館山のソーダガツオなどはその時期になると岸壁が釣り人で埋まります。また、千葉県竹岡のクロダイは乗っ込み時期になると、狭い漁港に夜中から釣り人がやってきています。(私も何度かトライしましたが、駐車場が狭いため、場所取りがうまくいきませんでした。)千葉県勝浦の黒鼻の磯は、観音堂を越えた先の崖をロープを伝って降りなければならないにも関わらず、その時期になるとヒラマサが釣れるため大勢の釣り人で賑わいますが、このような場所では糸が絡んでケンカになることがあります。釣り人には太公望の心を忘れないでもらいたいと思います。でも大物が釣れだすと、釣り人は狂気と化すことがあるようです。(なお、私はどのような場合でも、冷静さを保つことにあまり苦労はしない質であると思っていますが…)
8、釣りと魚の感覚器官について
やはり、釣りをする上で魚の習性と共に感覚器官の特性を理解することが肝要だと思います。魚は陸上の生物と同じように目や耳、鼻などの感覚器官がありますが、それとは別に側線という音や電気を感じる器官があります。魚は視覚、臭覚、味覚、聴覚、触覚の5感を有し、更にサメなどは側線で電気を感じるそうです。特に魚の臭覚や聴覚は非常に優れており、エサを手で掴むと、その匂いを検知してエサを食べないと言われています。また、釣り人の足音に反応するそうです。だだし、魚の種類によってもその感度はかなり違い、魚にも利口なものとバカなものがいるようです。釣り人にとってはバカなものの方が良いように思います。また、まだ学術的には認識されていないような感覚を持った魚類もいるようです。鳥が磁気を検知できるかどうかについて、まだ結論がでてないようですが、魚類についてもまだあるかどうかが証明されていないような感覚もあるようです。ただ、人間の味覚ですら、その中の「旨味」は最近になって、あることが証明されたように、どのような感覚が存在するかを証明することはかなり難しいことなのです。(ですから、感覚的な「美」を重視する芸術の価値を評価することは困難なことだと思います。…余談!)よって、実践を通じて、釣りの対象としている魚の感覚器官の感度を探りながら、釣りを楽しむことが良い釣果につながると思います。ただし、太公望を気取る私としましては、釣果は二の次なので(?)、あまり神経質に魚の感覚器官の感度を気にしないことにしています。
なお、岸から魚影を見たとき、水の屈折率が空気より大きいため、見た目よりも深い場所にいることに注意すべきです。また、空気より水の方が密度が大きいため音の減衰率が小さく、遠くまで音が伝搬することにも注意が必要です。
9、釣りと道具について
釣りの道具で重要なのは竿、針、糸、エサですが、その他にも、浮き、浮き止め、重り、サルカン、ゴム管など細かい道具が数多く存在します。これらは、釣り魚や釣り方の種類や個人の好みによって千差万別です。さらに、個人の工夫によって、特殊な道具が使われることもあります。
(1)竿
日本の竿は主に川や湖沼での釣り用に作られたものが多く、その寸法は4.5mとか5.4mとか中途半端な寸法で構成されています。これはメートル法が基準ではなく、尺貫法が用いられているためです。4.5mは1丈5尺(ジョウゴ)、5.4mは1丈8尺(ジョウハチ)など、30cm置きになっています。かつて、日本の竿は竹が用いられていましたが、グラスファイバーが発明されて以来、プラスチックの竿が主流になっています。竹の竿はグラスファイバーに比較して重く、太くなっています。また竹の竿を仕舞うときは、手元の2本の竿に順次細い竿を入れ込んでいくため、最終的には2本になります。これに対し、グラスファイバーは手元の一本に入れ込むため、最終的には1本になります。むろん竹の竿も現在市販されていますが、とても高価で100万円以上するものもあります。(私はヘラ鮒用の竹竿{1丈5尺、本調子}を一竿持ってまいす。…自慢)ただし、ノベ竿といって2〜3m程度で継がなく一本の竹でできているものなどは、かなり安価なものもあります。長さは1尺程度のタナゴ釣り用から、2丈(6m)のアユ釣り用まで、多くの種類があり、種々の竹が用いられています。竹竿は竹そのものの材質もさることながら、塗が重要です。竿の地肌が見えるように透明な漆で塗装しています。また、竿には調子があり、先調子、本調子、胴調子などがあり、特にへら鮒釣りでは重要な特性です。先調子は先端が撓り安く、本調子は中間が、また胴調子は手元から全体が撓ります。へら鮒釣りでは、初心者は先調子からスタートし、胴調子で合わせ(魚が針を加えた瞬間に合わせて竿を上げること)られるようになると、一人前といわれます。胴調子の竿で釣ると、小さな魚でも竿が大きく撓るため、魚の引きをより楽しめ、またより細い糸で釣れるため、釣果が上がるとされています。(ただし、振り込み{餌を目標のところに落とすこと}にも技術を要するため、熟練が必要です。なお、私の竿は本調子です。)釣りに限らず、多くの趣味において、道具に関するこだわりは尋常ではないものを感じます。腕前はいまいちでも(むしろ下手な人ほど)、道具については一歩も譲らない方が多いように思います。これは同じ趣味でも、たった一人で楽しむ方法と、多くの人と楽しむ方法があるからだと思います。釣りで言えば、釣り大会なる競技釣りが多くの人と楽しむ方法の一つです。ヘラ鮒釣り大会などでは竿の品評会の様相を呈することもしばしばです。「弘法も筆の誤り」か「弘法筆を選ばず」かは、釣り人本人の考え方次第とは申せ、いざ大会となると虚栄心が先走り、筆を選んでしまうようです。私もその一人なので、それをあざ笑うことはいたしません。(例え、心の中で笑っても、決して表に出さないように心掛けます。なぜならば、「貧乏人の遠吠え」と思われてしまうからです。)人の嗜好は多種多様であり、釣果をそっちのけにして道具に凝ったり、エサに凝ったりと、でも趣味は人の遊び心を満足させるものであるから、事の優劣をつけること自体、あまり意味のないことなのかもしれません。やはり釣りのオリンピックは必要ないかも?
(2)釣り鉤
釣鉤はエサを付けるものから、毛鉤やルアーなどの擬似エサ用の釣針などを含めると、非常に多くの種類があります。ただ、釣鉤は基本的に魚を釣り上げるためのものなので、魚が一度鉤に掛かったら、逃げないようにアゴ(返し)が形成されています。しかしながら、ヘラ鮒やバスは美味しくないため(バスは美味しいとの意見もありますが、私は食べたことがありません)、釣った後は放流します。このため、魚になるべくキズを付けないように(魚の虐待を少なくするため?)、ヘラ鮒釣り用の鉤にはアゴがありません。ルアーではバーブレスフックというアゴなしの釣鉤がありますが、どの程度普及しているかわかりません。なお、魚にとって、アゴありとアゴなしで、どの程度の虐待感の差があるのかは、怪しいと思います。要するに、釣り人の気持ちの問題であって、魚自身にとっては、アゴが有ろうが無かろうが、どちらでも同じことのように思えます。(もっとも私は魚ではないので、確定的なことはいえませんが)。さて、特に特徴的な釣鉤はカワハギ用のものです。釣鉤の先端が内側に曲がっているものです。カワハギは岩場で海底近くにいるため、釣っていると海底の岩に針が掛かってしまうことが多く、それを防止するため先端が内側に曲がっている針を使用します。しかしながら、カワハギはエサ取り名人と言われていて、浮き釣りをしていると、浮きにまったく反応が現れません。エサの動きに合わせて泳ぎ、エサを端から削り落とすように食べます。私はカワハギ専用の鉤が一般のものより海底に針掛かりしないとは思えませんし、また、針先がカワハギの口に入り難いような気がします。しかしながら、知人はカワハギ専用の方が釣果が上がると言っていました。釣鉤の形は多少は釣果に影響するとは思いますが、日曜釣り師の私にとっては釣鉤の大きさは気にしますが、形は二の次です。前にも記しましたが、私の釣り技術レベルでは、針の形は気になりません。やはり場所と時期が重要です!
(3)糸(ライン)
糸は大きく道糸(力糸を含む)とハリスに分かれますが、特にハリスのサイズが問題です。魚に悟られないように、ハリスはなるべく細くて強度のあるものが良いといわれています。一般的には、ナイロンやテフロンなどの透明の合成樹脂を延伸して引っ張り強度を上げたものが使用されます。ここが問題です。魚はほんとに糸の太さや色によって釣れ方が違うのでしょうか?魚は人と同じようにRGBの三原色を識別できるのでしょうか?ボラなどは目が良いので細いハリスが良いとのことですが、多くの魚類は目より鼻(匂い)や側線などの音の検知器官が発達していると言われていますので(魚類は電気など6感以上の感覚器官を持っているようです)、糸の太さや色が重要とは思えません。でも、クロダイやメジナなどを釣っていると、確かに細い糸の方が釣果が上がるように思えます。魚の種類や水の濁り具合によって、糸の太さが問題になるのかもしれません。私は、クロダイ釣りでは1・5号か1・7号のハリスを用いています。大物が掛かった場合など、たまにハリスが切れることがありますが、このような場合「大物は長年生き延びてきた良好な遺伝子を持った魚であるため、より丈夫な魚を繁殖させるために逃がした」と思うことにしています。
なお、ボラは冬になると目に脂肪がついて白濁し、太い糸でもよく釣れるようになります。また乗っ込みの時期や秋から冬にかけて深場に落ちる時期など、魚のあら食い時期を狙って釣れば、太いハリスで大物を狙うことが可能かと思います。多分、糸の太さが及ぼす釣果への影響はあまり大きくないのでとは思いますが、外房でカマスを釣ったとき明らかに糸の太さで釣果に差がでました。魚の種類によって感覚器官の感度に差があり、中には目がよい魚もいるのであろうと思います。太い糸で大物を狙うか、細い糸で数釣りを狙うかは個人の趣味の問題であり、私は特にこのことについて言及したくありません。(私見:大物を狙う人は、麻雀では役満を狙いカモになることが多く、数釣りを狙う人は、ピンフで何度も上がるため相手に嫌われることが多いのではないか…)
(4)エサ
魚釣りで、場所の次に肝心なのはエサ(ルアーではその種類)です。魚が好まないエサで釣れる訳がありません。魚はその種類によって食生活に違いがあります。例えば、ヘラ鮒はめったなことではミミズなどの動物性のエサを食べません、よってエサはジャガイモが主体です。しかしながら、鯉は動物性のエサを好んで食します。(鯉は雑食性なのでサツマイモで釣ることもあります。)また、クロダイは悪食と言われており、ミカンやスイカなどで釣ったり、イソメ類やモエビ、オキアミなどの動物性のエサでも釣れます。また、クロダイは海苔が好物であり、港の船着き場の海苔を食べに来ることが知られており、それを狙って釣りをしている方が多くいます。また、メジナなどは夏場はモエビやオキアミなどを食しますが、冬場はもっぱら海苔を食します。当たり前のことですが、狙った魚に合ったエサで釣るべきです。なお、オキアミは万能エサと言われていますが、アジやサバなどの回遊魚の他はクロダイとメジナ以外は使用すべきではないように思います。ただ、一度ですがオキアミで50cm大のヒラメを釣ったことがあります。多分、オキアミを食した小さな魚をヒラメが食したのではないかと思います。当たり前のことですが、このようなことを期待して釣りをするべきではないと思います。釣りは目的と結果が偶然性なしに達成されてこそ、満足感が得られるものと思います。
なお、大物を釣りあげた人に対し、例えたまたま釣れたように思えても、決して「たまたまですか!」などと言ってはいけません。確実にケンカになります。また、撒餌さについては以前にも記しましたが、禁止されているところが散見されます。特に港湾では、多くのところで禁止しています。このことについて漁師さんとケンカしたりしないでください。港湾は遊び場ではありません。仕事場です。
(5)浮き
浮きは、多くの釣り道具の中で、最も多く手作りされている道具ではないかと思います。特にヘラ鮒用の浮きはプロ級の腕前を持った方が多く存在します。ヘラ鮒用の浮きは嘗て、クジャクの羽で作られていたそうですが、現在はプラスチックで作られているようです。浮きは一般的には、円錐型のタイプとトーガラシ型(棒型)の2種類に分けられ、円錐型は主に海釣り用が多く、湖沼や河川ではトーガラシ型が用いられます。どちらかと言えば、トーガラシ型の方が感度が良いようです。なお、浮きの感度を十分発揮するためには重りの選択が重要であり、更にエサの形状や重量、更には浮き下(浮きとエサとの間隔)が重要な要素となります。更に、重りを付ける位置(浮きと重りとの距離)が振り込み(エサを水面の思った位置に投げ入れること)の容易さに影響します。この辺の技術は経験によって習得することが肝要かと思いますが、風が強い時は、浮きと重りとの間隔が狭い方が良いようです。なお、メジナ釣りではエサが波によって上下動することを防止するため水中浮き(海水とほぼ同じ密度の円錐浮き)がよく用いられますが、私はあまり用いません。その効果に疑問があるからです。(これは私の個人的な意見であり、水中浮きの効果がないという証拠はありません。念のため!)いずれにしても、浮きの選択は釣果に多大な影響があり、魚種や釣り場のみならず、天候や波の高さなど、多くの条件を加味して決定する必要があり、一般的には数種類の浮きを用意する必要があります。どのような事であっても、次の手や奥の手を用意することが肝心だと思います。
(6)リ−ル
リールほど釣りにおいて画期的な道具はありません。特にスピニングリールなくして海釣りはできないといってもよいほどです。リールはかなり古くから存在し、もっとも古い資料は、1195年の中国の場遠の絵だそうです。なんと、鎌倉時代以前に、既に存在していたそうです。しかしながら、その形は太鼓型と称するもので、スピニングリールはいつごろ発明されたかは定かではありませんが、昭和31年に国産品が売り出されて以来、リールの主流となっています。(海外では戦前から存在していたようです。また、海での船釣り用は太鼓型リールが多く用いられています。)リールを用いて、岸や船から遠くの目標に仕掛けを投げ入れる技術は、かなりの熟練を要します。特に向かい風の時は苦労します。これができるようになれば一人前だと思います。これは全ての道具に言えることですが、その道具の価値を100%出すための技術を磨くことが肝要です。
(7)その他
重り、シンカー、浮き止め、水中ウキ、サルカン(撚り戻し)、スナップ、てんびん、クッション、ルアー、コマセカゴ、エサ箱、コマセ杓、クーラー、タモ、竿掛け、ハサミ、メゴチバサミ、針外し、プライヤー、ビク、水汲みバッカン、針結び器、ゴムカン、ケミホタル、電気ウキ、ランタン、ヘッドライト、長靴、胴長、ライフジャケット、折り畳み椅子など、釣りは非常に多くの道具を必要とします。しかもそれぞれの道具にも、形や大きさ等かなりの種類があり、また釣り魚の種類によって必要とする釣り具が違います。なぜこれほど多くの釣り具があるのでしょうか?初めて釣具屋に行くと、どれを買ってよいのか迷ってしまいます。やはり初心者は名人もしくは自称名人(名人モドキでもいないより益し)の方と一緒に行くことをお奨めします。
10、淡水での釣りについて
川や沼には多くの生き物が生息していますが、海に比較すればその種類はかなり少ないと思います。私は関東近辺でしか釣りをしたことがないため、その他の地域に関してはあまり詳しくありません。関東での釣りは利根川が中心だと思います。(一度だけ淡路島で海釣りをしましたが、関東とあまり変わりませんでした。)潮来のヘラ鮒釣りや、利根川の手長エビ釣り、春のレンギョ(ハクレン)釣りが有名です。また、かつて関東の多くの川でアユが釣れました。最近、多摩川でアユが釣れるようになったとのことです。川の水がきれいになったためということですですが、他の川でのアユの遡上についてまだのようです。関東の河川の汚れはまだまだです。関東には手賀沼、印旛沼、牛久沼、霞ケ浦、北浦などの自然の沼や、奥多摩湖、相模湖、津久井湖、三島湖、亀山湖などのダム湖、更には大小の農業用水用の沼が点在しています。このような状況は日本のどの地方でも同じようで、そこに生息する生物はほぼ同じような性質を持っています。淡水での釣り方には主に2種類あります。鮒、鯉などは比較的流れの少ない場所で、あまり移動をしないで同じ場所に陣取って釣ります。また、アユ、イワナ、ヤマメなど流れの急な清流での釣りでは、魚がいる場所を探りつつ釣り場を移動して釣ります。ただ、近年は多くの河川や湖沼で魚を放流しないと、釣れないようになっています。イワナやヤマメは昔、山で作業した人たちが放流した魚が繁殖したものだそうで、近年はそのような作業者が減少し、また大雨によって魚が下流に流されたため減少したとのことです。自然の状態では魚が育たなくなっているようです。このため、関東のすべての河川で遊漁料が必要になっています。もっとも、英国の河川の多くは個人が所有していて、勝手に釣りをすることができないとのことで、日本はまだましかもしれません。魚は自然が育むもので、誰でも簡単且つ勝手に手に入れることができる、という時代はすでに終わっています。魚を捕りすぎたためか、自然が魚を育む能力を失ったためなのか、或いはその両方かもしれません。私は管理釣場での釣りが好きではありません。単に釣れるだけでは面白くないのです。釣りはまず、釣り場を探すことから始まると考えているからです。魚がどこに潜んでいるか、釣り座が安定しているか、流れが釣りに適しているか、水が濁っていないか等々、釣る前(釣る数日前)の準備期間が重要なのです。場所によっては単に釣り場の探索だけで数日を要します。釣りは釣っているその時のみならず、その前の場所探しも楽しい時間なのです。(更に釣った魚を料理して食べることも楽しみの一つです。)ただ、東北や北海道など自然豊かな一部の区域を除いて、自然の環境での淡水の釣りはすでに終わったと思われます。(私はバス釣りは自然環境での釣りに分類していません。管理釣場の釣りに分類しています。)
11、海の釣りについて
日本は海に囲まれているため、海での釣りは比較的やり易いと思います。ただ、多くの釣りに適した海岸線には漁港があり、したがって、漁港の防波堤が主な釣り場になっています。このため、漁業関係者とのトラブルが多く、釣り禁止の立て札も散見されます。これは主に、防波堤の釣りは漁業の邪魔になったり、また事故が発生したりしているためです。熱海の防波堤での事故のように、波にさらわれて亡くなる方が後を絶たないからです。でも、そのような大きな波が来るような防波堤の方が釣果が上がるため、そのような場所で釣りをする人が散見されます。釣り愛好家としては残念なことだと思っておりますが、どの世界にもマナー違反者はいるものだと思います。さて、海の防波堤の釣りでは澪筋沿いに良いポイントが点在します。特にそのカケアガリにはクロダイの大物がついていることがしばしばです。また、内房などでは、砂浜に漁港があるため、堤防の先端に水深のあるところが多く、良い釣り場が多く見受けられます。なお、近年は閉鎖された小さな漁港が多くなってきているように思います。さらに、多くの漁港において、漁船より釣り船が多くなっているようにも思われます。また、千葉の鴨川港や三浦半島の宮川港など漁港の脇にヨットハーバーが建設され、やがて漁港がレジャー港に様変わりするのではないかと思われるような港もあります。このような現象は、魚介類の乱獲や漁師の減少に起因するのみならず、海の汚染により近海の魚介類が減少しているのではないかと疑わざるを得ません。陸上の汚染物質は、人が処理しない限り、やがて海に注がれます。地球上の水は意外と少ないと聞いています。汚染物質の濃度は日々高まっていると思います。でも多分私が生きている間は心配ないと思っています。いや、多分孫の代までは…。
12、釣りと危険魚について
危険な魚で有名なのがサメとフグですが、日曜釣り師において危険な魚は、アイゴやゴンズイ、ミノカサゴなどが有名です。誤ってそれらを手で掴むとトンデモナイコトになります。私は三浦半島の城ヶ島でアイゴを釣ってしまった時に、背びれに触れて、その後釣りができないほど指先が痛くなったことがあります。アイゴは危険な部分をハサミなどで切断したあと処理することをお薦めします。なお、アイゴは釣りあげた後、すぐにシメて内臓を取り出しておくと、臭みがなく白身でかなり美味な魚です。(アイゴが釣れると即座に放流される方がいますが、一度食べてみてください。)ゴンズイについては足で踏みつけて針を外した後に放流することをお薦めします。私はゴンズイに触ったことがないので、その痛みをしりませんが、「トンデモナイ痛み」だそうです。刺されたら、すぐに医者に行くことをお勧めします。なお、得体の知れない魚は、なるべく放流した方がよいと思います。キタマクラなどフグ以外にも海の魚には毒を持った魚がいます。(フグなどが釣れると放流しないで陸上に放置している釣り人がいますが、生物多様性保護の観点から食料としない魚類は放流すべきと思います。)なお、私は淡水魚で毒を持った魚を知りません。毒は魚の食性に起因しているようです。その証拠に、養殖によって毒のないトラフグが得られるとのことです。養殖はフグやウナギ、ブリなどに限らず、将来多くの魚の確保に必要な技術であると思います。日本は水に恵まれた国です。他国に比較して養殖技術を発展させるための条件が整っている国柄だと思われます。海は時とともに汚染が進んでいます。やがて海水魚の多くに対し汚染が問題視されるようになると思われます。管理釣り場より養殖場の設置拡大の方が重要なのではないかとも思います。(釣った魚を食料とせず、単に釣りをするだけならば、毒魚であってもそれほど問題はありません。よって、海が汚染されても、釣り師としてはあまり問題はないかも…)
13、釣りと魚の鑑賞について
日本にはかなり多くの水族館があります。釣りをしない方でも、水族館を訪れることを好む方はかなり多く存在すると思います。金魚や錦鯉は中国が原産地ですが、錦鯉の改良は江戸時代に日本の新潟県山古志村で始まったとのことで、日本人は特に魚の鑑賞が好きなようです。魚を鑑賞することはかなり昔から行われていたようで、悠々と水中を泳ぐ魚を見ていると、心が落ち着くような気がします。魚は釣るべきか、鑑賞すべきか、それとも食するべきか?そんなことは議論しても何の結論も利益もありません。魚という生き物は@釣ってよし、A鑑賞してよし、B食べてよし、という三拍子揃った生き物であり、人類にとって最もありがたい生物であることを認識すべきと思います。人類の祖先はナメクジウオだそうで、元を質せば生物は海から生まれました。(更に過去に遡れば、アミノ酸分子は宇宙で作られたようです。)海の生物に関心を持ち、その生態を把握することは、食物という観点以外にも人類の将来において重要なことと思います。水族館は魚の鑑賞という意味もありますが、その生態の研究という意味においても重要な施設であると思います。人は人だけで生きているわけではありません。人は自然の中の「一つの品種」です。もしかしたら、遠い将来、魚から人間のような高等生物(人魚?)が出現しないとも限りません。(冗談!)養殖や保護の観点からも、水族館など魚介類への関心を深める施設を充実した方が良いと思います。ただし、個人的に水槽などで飼育した魚は、勝手に河川や湖沼などに放流しないことが肝要です。外来種は生態系を撹乱し、思わぬ災害をもたらします。もちろん、グローバル化が進行している近年において、いずれは多くの生物が諸所方々に拡散していくと思いますが、それを急いではいけないと思います。じっくりと時間をかけて遂行すれば、多くの危険が防止できると思います。
なお、魚介類の消費量は、かつて日本が最も多かったそうですが、現在は中国が最も多く、日本はアメリカに次いで4番目だそうです。外国では健康食品として魚介類の消費が増加しているのに、日本は魚離れが進んでいるように思います。この傾向は農作物においても同様で、近年お米離れが進んでいるとのことです。江戸末期の開国以来約150年が経過して、まだ外国カブレが納まっていないような気がします。(米国のTVのコマーシャルに日本人がどの程度出演しているのか知りませんが、日本ではいまだに、TVのコマーシャルへの外国人の雇用が多いように思います。どうして?)
14、釣りと釣り場について
(1)河川や湖沼の釣り場
鮒や鯉は河川でも流れが緩やかで、水深が深い所にいます。よって、河川の岸側でマコモなどが茂っているが所が狙い目です。ただ、近年はほとんどの河川で護岸工事が進行していて、河川は直線的で、ワンドなどは激減しました。また、嘗ては田んぼに水を汲みだすための堰が、木の杭で作られていたため、その下流に深場が形成され、良い釣り場が形成されていました。しかしながら、近年は門扉型や風船ダムのような水門が設けられ、深場が形成され難くなってきました。このため少なくとも、多くの河川で釣り場が激減しています。また、ヤマメやイワナなどが生息する清流は砂防ダムの設置や度重なる豪雨で魚が下流に押し流されるなどした結果、ヤマメやイワナなどはその数が激減しています。このような結果、河川や湖沼での日本古来の魚釣りはかなり下火になっていると感じています。これに対して、ブラックバス釣りができるダム湖が増えています。外来種の駆除が叫ばれている一方で、ダム湖にブラックバスを放流をするということが行われており、釣り師にとっては、どちらの側についたら良いのか戸惑います。多分長い時間の中では、いずれ生命力のある種が残ることになるとは思います。物や事のいずれもが、やがてグローバル化が進行し、すべての物や事が入り混じることになると思います。ただし、それが早すぎると…。
(2)海の釣り場
海の釣り場で遊漁料を徴収している所は海釣り公園ぐらいであろうと思います。もっとも、多くの港湾付近の釣り場近くには駐車場が設置され、駐車料を徴収していますが、夏の海水浴シーズンを除いて、車の駐車に苦労することはあまりありません。河川の釣りに比較し、釣りの時期の制限や遊漁料の徴収などの釣りに対する制限はあまりありません。漁港などを除いて、いつでもどこでも釣りを楽しめます。しかしながら、釣り人の数は時とともに減少しています。これは釣り場が減っているためではありません。むしろ、「釣り禁止」や「撒餌さ禁止」などと書かれていた堤防は減少しています。むろん釣りへの関心が薄れていることも事実ですが、私は釣果が上がらなくなっているのが原因ではないかと思っています。東京湾の汚染はかなり改善されているとのことですが、その他の地域はむしろ汚染が進んでいるのではないかと心配です。マグロやサンマなどの遠洋の魚の減少が話題となっていますが、海岸近くの魚介類もかなり減少しているのではないかと心配です。特に貝類は問題が多いような気がします。ある方から、真偽のほどはわかりませんが、嘗ては外房の九十九里浜でハマグリが取れたとのこと。現在アサリやハマグリの多くが輸入に頼っているようで、アサリは50%、ハマグリに至っては90%近くが中国や韓国からの輸入だそうです。もっとも、日本の食生活の欧米化に伴い、国内の消費量もかなり下落しているとのこと、やがて、日本の食卓からアサリやハマグリは消えるかも?(ホンビノス貝は今後どうなる?)
(3)管理釣り場
管理釣り場でもっとも重要な施設は「トイレ」です。特に女性にとって必要不可欠です。(むろん男性にとっても重要ですが…)船での釣りにおいても最近は女性専用のトイレを用意しているそうです。近年女性の釣り師が増えたのは、トイレ施設の充実がその要因の一つだそうです。その他、管理釣り場は休憩所や売店(エサを含む)などが充実しているところが多くあります。海では海釣り公園が、また湖沼では釣り堀が管理釣り場と考えてよいと思います。ただし、近年の河川や湖沼は魚を放流し、また遊漁料を徴収している河川が一般的なので、淡水の釣りは管理釣り場の釣りと考えても良いかもしれません。でも、釣り堀のような管理釣り場に比較すればより自然の中の釣りに近いようにも思えるし、釣り場所の選定においても探索の範囲が広く、また自由度もあると思います。このため、河川や湖沼では一応釣り堀のみを管理釣り場と定義すべきでしょう。ところで、私の友人の中に「海釣り公園を設置して釣り禁止地域を増やすのは如何なものか」とおっしゃる方がいます。確かに、海釣り公園は、釣り人を管理釣り場に閉じ込めようとする「港湾関係者の陰謀」ではないかとも思われますが、初心者や女性にとっては便利な施設と思われます。よって釣りを普及するためにはより多くの管理釣り場を設置することが必要かもしれません。その方が港湾関係者とのトラブル防止になると思います。また、河川や湖沼でも、釣り人が田んぼの畔に入って釣っていることに憤慨している農家の方がいると聞いています。ただし、管理釣り場を増やしたからといって、そのような方が減少するわけではありません。マナー違反はどのような遊びでも、趣味でも、仕事でも存在します。人間の約1〜2%は反社会的な行動を起こす性格を内在しているとのことです。やはり、入ってほしくない場所には柵を設けるしかないのかもしれません。ここにもホモサピエンスの限界が存在するかも?
15、釣りと魚拓について
魚拓は日本独特のもので、釣りに対する日本人の考え方を示す良い例ではないかと思います。魚拓は庄内藩で、江戸後期の天保の頃に最初に作られたそうです。要するに釣りを武士の鍛錬の場とし、釣りあげた大物を敵将の首に見立て、魚拓にしたとのことです。これは私見ですが、武士がのんびりと釣りをしていては、民に示しがつかないので、「釣り」を「武士の鍛錬の場」としての理屈付けをするための一つの手段であったのではないかと思います。天保年間といえば、浪人の平手造酒が笹川繁蔵の食客として、利根河原の決闘(現在の成田線笹川駅付近)で殺された天保水滸伝で知られているように、全国に浪人が溢れ、行き場を失いつつある時代であったようで、この頃に幕末に活躍する坂本竜馬等が生まれています。(坂本竜馬もやがて脱藩します。)武士が生きがいを失いつつある時代に、道楽をも正当化し、武士の威厳を保とうとしたようにも思われます。やはり、釣りを武士の鍛錬の場とするのは如何なものかと思います。ただ、魚拓はその後、釣り師の自慢話の種として脈々として受け継がれました。これは、釣れた魚の形を残すということにおいて、魚が転写し易い形状であったためと思われます。また、魚拓には墨絵に似た美的価値があるとも思われます。簡単なようでも、魚の全体を細かいところまで紙に正確に転写するにはかなりの技術が必要です。多くの釣具屋には写真ではなく、大物の魚拓が掛かっています。写真に比較し、何となく「本物の釣果」のような気がするのは私だけではないように思います。魚拓は日本の伝統芸術(?)として今後も保護する必要があるのではないでしょうか?
16、釣りと太公望について
太公望(呂尚)は周に仕え、後に斉の国王となったとされる人物で、多くの逸話が残っています。特に有名なのが、渭水で釣りをしていた太公望と周の文王との出会いですが、「覆水盆に返らず」は、太公望の元妻が斉の王となった太公望と復縁を望んだ時に、それを拒否したという逸話に基づいた諺だとのことです。いずれにしても、中国では「釣り」という行為が人物の器の大きいことを象徴するものと思われていたと考えて間違いないと思います。また、2章で記したごとく、日本においても江戸時代の多くの藩において藩士に魚釣りを推奨したことから、魚釣りが人の心の鍛錬に役立つ趣味という位置付けであったと思われます。確かに、釣りをしていると、何故か他の悩み事などを忘れて釣りのみに集中することができ、精神的な安定をもたらすように思われます。もっとも、釣りに限らず多くの趣味が自律神経の安定をもたらすことは確かなこだとだと思いますが、釣りは自然とのふれあいによってその効果がより大きいと感じます。「釣り好きは気が短いそうだ!」などという噂が誠しやかにいわれていますが、釣りを知らない人の戯言と思います。更に、釣りをしていると、河川や湖沼、海などの汚染を直接目にすることができ、自然の荒廃を感じることができ、その大切さを実感できます。いつか「趣味雑感」について記述したいと思ってますが、科学技術に基づいた産業が進むなかで、自然は生活の中の必需品ではなく、「できればあった方が良いもの」のように感じている方が増加しているようです。趣味においても、人々が夢中になるのは、コンピューターゲームであり、オリンピックであり、野球やサッカーであり、およそ自然とはかけ離れたところに一生懸命に力を注いでいるように思えます。(田舎へ移住して野菜や果樹の栽培をする方が増えているとの報道もありますが、定年を迎えた高齢者がそのほとんどであり、若者には無縁のことのように思えます。)やはり、私たちは自然を人間に従わせようと、科学技術を駆使して自然に対してパワハラしているように思えます。釣りが自然に対する「パワハラ」でないと言い切ることはできませんが、自然の重要性を知るきっかけになると信じています。今後も太公望が増加することを祈念して本雑感を終了します。(なお、私は全ての釣り具メーカーからの賄賂を受け取っていないことを宣言いたします。念のため!)
付録1、釣りと特別用語
どのような業界や趣味でも、それ専用の業界(?)用語があります。それを知らないと素人扱いされ、バカにされます。多分ご存じだとは思いますが、一応釣り業界の用語を挙げておきます。
(1)ボウズ、オケラ、オデコ…釣果がないこと
(2)乗っ込み(ノッコミ)…魚が産卵のため、浅場にやってくること
(3)仕掛け…糸から釣り針にかけての釣り具の配置
(4)外道(ゲドウ)…狙った魚ではないが、釣れて良かった魚
(5)雑魚(ジャミ)…小魚でエサだけ食べていく邪魔な魚
(6)スレ…魚の口に針が掛からないで、胴体やヒレに針が掛かって釣れること
(7)アタリ…浮きが沈むなどの魚がエサをつっついている状態
(8)アワセ…魚がエサを食べたことに合させて竿を上げること
(9)イッカ…複数の釣針に同時に魚が掛かること
(10)ミカンクシロ…ミカンでクロダイを釣る方法(紀州の方法。房総ではスイカでクロダイを釣る。)
(11)おまつり…仕掛けが隣の人の仕掛けと絡むこと
(12)ミャク釣り…ウキを付けないで竿先の当たりで釣る方法
(13)フラシ…魚を入れるカゴ
(14)テグス…釣り糸
(15)タックル…釣り道具(16)タモ…玉網
(17)手返し…仕掛けを引き上げてからエサを付けて再び仕掛けを振り込むまでの動作
まだまだ沢山ありますが、勝手ながら、この辺でよしとします。切りがありませんので!また、釣り大会などに参加しなければ、上記のような業界用語(?)を使う必要はないので、あまり気にする必要はありません。
付録2、私の釣り10箇条
(1)危険な場所に行くな!
これが問題です。実は危険なところほどよく釣れます。安全な釣り場の魚は擦れていて、針掛かりし難いようです。海や河川で事故が起こると、自分だけの問題でなく、漁業関係者など多くの方に多大な迷惑が掛かります。事故が起きる毎に釣り師に対する批判が増加し、肩身の狭い思いをしなければなりません。
(2)常に周りに人がいないことを確認せよ!
周囲に人がいないことを確認して竿を振ることが肝要です。特にお子さんがいないことを確認して下さい。
(3)見晴らしの良い釣り場で釣れ!
釣れないときもあります。でも遠方に来て、すぐ帰るのはなんとなく勿体ない気がします。しかしながら、眺望のよい所なら、その景色を見るだけで、太公望たる心境を味わうことができます。(むろん釣れた方が良いに決まってまいすが…。)
(4)隣の釣り人との距離を5m以上取れ!
隣の仕掛けと絡むと、気まずくなってその日の釣りが台無しになります。
(5)釣りは一人でやれ!
釣りは競争をしない方が良いと思います。いらいらしながら釣りをしても、ちっとも面白くありません。更に、釣れる場所は海にしろ河川にしろ、意外と狭いため、2〜3人で釣りをしていても場所により釣果に差が出ます。やはり、釣りは一人がよいと思います。ただし、競争しない勇気があれば、数人まではOKでしょう。
(6)寄せ餌さを大量に撒くな!
寄せ餌さは多くの魚種に有効です。しかしながら、大量に撒くと、ジャミが集まりすぎて、エサ取りに悩まされます。ダンゴ釣りが有効なのは、このためです。なお、大量の寄せ餌は環境を汚すことにもなります。岩場では岩が死にます。
(7)釣りは朝やれ!
午後には帰宅して魚を料理すべきです。(なぜか、一般的に妻は夫が釣ってきた魚を料理することを嫌います。)交通渋滞に巻き込まれることも少ないし、朝は清々しく気分がよいです。
(8)夜釣りは午後10時まで!
夏であっても、午後10時をすぎると、人影がほとんど見受けられなくなります。安全上、午後10時以降は釣りを控えた方が良いと思います。(丑三つ時には幽霊や悪霊に会うかも?)
(9)エサはその日に買え!
天候によって釣りにいかれないことがあります。特に海の風については、天気予報をあまり信用しない方がよいと思います。現場で風力や風向きを確認してから、その近辺のエサ屋でエサを仕入れることを推奨します。(日曜釣り師は天候の問題をいかに克服するかが問題です。私は場所や釣り魚の変更で対処していますが、やはり限界があります。天候に問題がある時は思い切ってやめることが肝要かと思います。)
(10)自分の釣り方を見いだせ!
最終的には、自分自身に合った釣り方(釣る魚の種類、仕掛けの作り方、釣り場、釣り時期など)を見出し、それに固執することが肝要かと思います。他人の言動に惑わされず、自分の信条に基づいて釣りを実行すべきであると思います。
たかが釣り、されど釣り!太公望たれ!
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