Sandara Botchの予測雑感 本文へジャンプ

1、予測について

人の行動は予測によって成り立っています。足を一歩前に進める行動でさえ、道に穴やデコボコがないことや、前に障害物がないことなどを予測しています。人は常に予測に基づいて行動しています。多分多くの会社員は、明日の電車での通勤のため、夜の睡眠の前にTVで天気予報を見て、台風などが迫っていれば交通手段の変更をすべきかどうかを検討し予測するでしょう。そして、明日の周囲の状況や自己の変化を予測して行動するでしょう。いや、すべての生物は予測に基づいて行動していると言えます。例えどんなに小さな動物の行動においても、次に起こるかもしれない事象から安全を確保したり、またその動物の生命を維持するに必要なことを予測して行動しています。感覚的には環境の変化と同時に行っていると思われる行動も、実際には環境の変化を観測し、次に起こるであろう環境変化を予測して、それに応じて適切と思われる行動をしています。ほとんどの動物は、自身の行動が起こされる時点の前に起こった事と関連していることを本能的に自覚しています。そして、その行動の前に周囲の環境に起こった事によって次の起こるであろう変化を予測するため、過去に経験した事物を参考にします。つまり、動物の行動は過去に起こったことの「記憶」に関連しています。記憶は遺伝的に祖先から受け継いだもの(本能)と、生まれて後に、各個体が経験によって得たものに分類されます。例えば生物の捕食行動は本能に基づいています。また生物の歩行も本能に基づいていると言ってよいと思います。(ただし、人の二足歩行は遺伝と経験の両方に基づいているとも考えられます。)人間のような高等生物になるほど経験によって得た記憶による行動が支配的になりますが、遺伝的な記憶によって支配されている行動も多分にあります。そして、この経験的記憶に基づく予測と、遺伝的記憶に基づく予測とは必ずしも一致しているとはかぎりません。両者が異なった予測をする場合も多々あります。この事は感性と理性の衝突であるとも思われます。感性は本能によるところが多く、また理性は経験によるところが多いと思われます。そしてその衝突のため人は悩み、判断を迷います。いや、人は次に起こる事象に対し、いつも確定した明確な予測ができる訳ではありません。むしろ、曖昧な予測の方が多いと思われます。ここで、後述するように「記憶」が予測のための重要なファクターになります。遺伝情報も含めた「記憶」は行動のための「データ」であり、そのデータ処理に基づいて人は予測し行動します。よってそのデータ(=経験による記憶+本能による記憶)の質と処理能力(=感性と理性)が人の能力と考えられ、迷いの元がそれらの中に潜んでいると思われます。本項はそのような観点に立って、予測について記述したいと考えています。ただし、本項はすべてSandara Botchの「独り言」のような記述なので、あまり信用しないでください。もし、「くだらない記述である」と思ったら、その時点で即刻閲覧を中止してください。


2、欲求と意思

 意思は欲求に基づいています。アブラハム・マズローの欲求5段階説によれば、欲求は①生理的欲求②安全欲求③社会的欲求と愛の欲求④承認欲求⑤自己実現欲求の5段階からなり、人はその実現のために行動します。この行動と欲求の間に介在するのが意思であり、人はその意思に基づいて予測をしつつ行動します。生理的欲求と安全欲求は本能的欲求であり、比較的短期的な予測によって満たすことが可能と思われます。しかしながら、社会的欲求や承認欲求、自己実現欲求を満たすためには多くの知識が要求され、意思と長期の予測に基づく計画が必要になります。欲求は意思の源泉であり、その欲求が高度なものになるに従って、意思に基づく長期的な予測が要求されます。前項で、人間を含むすべての動物の行動は予測に基づくものと記述しましたが、日常の行動においては、意識して予測しつつ行動することはそれほど多くないように感じます。しかしながら、予測のない行動はありません。例えば、生理的欲求である食欲を満たすための行動を考察したいと思います。初めに食べたいという欲求に基づいて料理を作るという意思が働きます。そして食べたい料理の材料を考慮(予測)し、それを買うため、その材料を売っているお店を予測し、その材料の金額を予測し、財布の中のお金が十分に足りることを確認し、そこに買い物に行きます。お店と金額はある程度意識的に予測すると思います。その店がいつも買い物をしている店ならば、そこに行く道順などについては何ら予測をしていないと思われるかもしれません。確かに、意識的に予測する必要はないと思います。しかしながら、実はその道順は近道かどうか、工事中であるかどうか、通行に不都合がないかなどを、過去の経験から無意識に予測しています。また、曇天なら傘の必要性の予測もするでしょう。そして買い物を終えたのち、料理の手順を予測しその手順に従って料理を作成し、食欲を満たします。欲求は意思を生じ、意思は予測に従った行動を生じさせます。欲求と行動の間には意思と予測が存在します。しかしながら、欲求→意思→予測→行動という課程を意識することはほとんどないと思います。なぜならば、私たちの欲求を満たすための行動の多くが、大きな変化を要求せず、習慣的なものとなっているためです。このことが大きな行動の変化を要求するような事態(例えば台風や地震などの災害への対応行動)に対して、適切な行動を阻害していると思われます。そのような傾向は、生理的欲求や安全欲求など、比較的無意識で本能に頼って予測行動をしている欲求にみられると思われます。さらに、習慣的な予測行動には認知バイアスによる適切な行動を阻害する原因があることを忘れてはならないと思います。(認知バイアスについては後述)


3、意思と予測

 人はその意思に従って行動をします。そして行動は予測に基づいています。すなわち、人は意思を達成するために最適と思われる行動を予測しつつ、その予測に従って行動していると考えられます。意思は、現在の自己が将来(次の瞬間も含め)どのような状態になりたいか、またどのような状態にないたくないかを示すものです。このため、人は常に意思と現状の周囲及び自己の状況を比較検討して、その後の状況変化を予測して、最適と思われる行動を取っていると思われます。ただし、このことはほとんど意識されていないと思われます。通常の行動において、意識して予測をして行動をしているとは感じないようです。もちろん、受験勉強のために図書館にいって本を探したり、車を運転していて交通渋滞を避けたり、テレビで天気予報のニュースを見てから会社に通勤する行為のように、意識的な予測をする場合も多々あります。しかしながら、朝起きて服を着たり、食事をしたり、歯を磨くときに「私は起きた瞬間に会社や電車の状況を予測して服を着たり食事をしたり歯を磨く行動をしています」などという人は多分あまりいないのではないと思います。このような日常の行動の多くは本能的であり、また経験の繰り返しによって無意識に行動しています。しかしながら実はそのような行動は予測に基づくものなのです。意識的にしろ無意識にしろ予測に基づかない行動はほぼないと思われます。無意識の行動(歩行において左右の足を順番に前に出すこと)であっても、本能に基づく予測が伴っていると考えられます。そして、例え無意識であっても、日常の行動はその行動の直前に周囲や自己の状況を観察して、予測に修正が必要かどうかを検討し、修正すべき点は修正して行動しています。このような通常の状況の予測は大部分の行動において、普通の人は特別に意識することなく適切な予測をすることが可能です。しかしながら、例えば外国留学をしたいとか、政治家になりたいなどのような長期的な欲求(意思)に基づく状況予測においては、慎重に検討をするため、事あるごとに周囲や自己の状況を観察しつつ行動をする必要があります。そしてそのような長期予測において重要なことは、現在の状態が現在より以前に行った行動によって影響されていること、そして、将来の状況が現在行っている行動によって影響されることを意識することは重要なことかもしれません。このことを「自己相関」といいます。当たり前と言えばそれまでのことですが、意外と「明日のことは明日のこと」などと嘯いている方が多いのではないでしょうか。予測は過去と現在における周囲の状況と自分自身の状況とを考慮することによって行われる必要があります。(周囲の状況の影響を「相互相関」といいます。)そしてそれらの状況が将来の状況に大きく影響することを自覚すべきと考えます。ただし、そのような「当たり前」のことに気が付かないのが人間であると思います。意思と行動は常にリンクしている訳ではありません。むしろ行動のほとんどは無意識であり、意識的に意思が反映されている行動は日常の行動のほんの一部です。しかしながら、意思は人の将来の状態を決定する重要な意識であり、その意思が予測に基づいていることを意識することは重要なことのように思います。ただし、予測は予測であり、確定はしていません。このため意思は常に見直すことが必要と思われます。予測した状況下において可能性の少ない意思は変更する必要があるかもしれません。いや、多分多くの方はそのような変更を常にしていると思います。それが的確にできないと大きな不幸に見舞われるかもしれません。過去と現在における周囲や自己の状況把握を的確に行うことによって将来予測能力が培われ、意思を達成することが可能になると思われます。

なお、ダニエルカウネマン(行動経済学者)の二重システム論におけるシステム1が無意識の予測であり、システム2が意思に基づく予測であると思われます。また、次項以下で記述したいと思いますが、無意識の予測は本能に基づくものであり、意思に基づく予測は後天的な学習に基づく予測であると考えます。


4、本能と経験能

本能は生まれながらに備わった能力で、これに対する反意語はありませんが、私は動物(特に人)の能力を本能と経験能から成り立っていると考えています。経験能は私の造語ですが、本能以外の能力で、生まれて後に周囲の環境から経験によって得た能力と定義します。人以外の一般的な動物の能力は本能によるところが大きく、経験能は少ないと思われます。より高等な動物ほど経験能が発達し、より多くの環境に対応することができるようになっているように思われます。特に人間の場合は本能よりも経験能の方が重要になっていると思われます。では本能は一般的にはどのような能力に関係しているのでしょうか?私は、本能は感性に多くの影響を与えていると思っています。そして、経験能は理性に影響を及ぼしていると考えています。もちろん、趣味雑感でも記述した通り、感性と理性を明確に分離することは不可能であり、常にその両方が行動や判断に関係してきます。よって本能と経験能を区別して検討しても意味がないかもしれません。しかし、私たちの行動や予測、判断が経験能以外からもたらされていることを自覚することは重要かもしれません。もし、生まれながらに備わった能力が現在の自分に大きく影響しており、その能力が祖先が長期に渡って獲得したものだとしたら、やはり祖先崇拝は必要なことかもしれません…。チョット話が脱線ぎみなので、話をもとに戻します。本能、経験能とも重要ですが、予測という観点から見ると、経験能が重要かもしれません。科学技術が発達していなかった昔のような、自然が環境を支配していた時代と違って、人工的に環境が変化している時代にあっては、経験能がより重要になってきていると感じます。むろん、感性を軽んじているわけではありませんが、和歌や俳句に浸っている時代ではなくなってきているかもしれません。そして多分(感性の関与が大きい)直感に頼ることは問題があるかもしれません。直感は本能と経験能の両方から得た予測ですが、多くの場合本能の寄与が大きいと思われます。嘗て直感を磨くことが重要な時代が長く続いていましたが、現代人の直感は現代の環境には適用できないように思われます。理論的な解析能力が重要な時代であると思われます。めんどうくさい世の中になったものだ!とは思いますが、人は科学技術を発展させるに従って、その科学技術を理解するための力(=理性)を発展させる必要が出てきたのです。もしそうしなければ、科学技術が人の理解を越えて独り歩きする日が来るかもしれません。人は科学技術を発展させた結果、科学技術に負けない人にならなければならない時代になったのかもしれません。本能では対応できない時代かもしれません。


5、本能と予測

防衛本能や生理的欲求に伴う行動本能など、生来備わっている本能は、祖先が長年に渡って経験した事、すなわち世代を越えた長期的経験(進化の過程)で得たデータに基づいた予測能力であると思います。すなわち本能とは、生物が環境から得たある期間のデータの平均値に対応するための行動規範であると考えられます。したがって、進化の過程で得た基本的な能力(本能)に基づく行動は、環境が大きく変化してない状況においては、大きな間違いが起こらないと推定できます。しかしながら、環境が大きく変化した場合は、本能に頼ることは、逆に間違いが起こりやすいとも考えられます。すなわち、本能に基づく行動は、日常が安定した環境においてのみ有効であり、今日のような科学技術によって激変しつつある環境においては、必ずしも適切な行動になるとは限らないと思います。例えば、食事に対する行動ですが、嘗て農業や工業が発達してない時代においては、人は常に飢餓状態にありました。このため、栄養が十分でなくても生きていけるような体質が人に備わっていました。しかしながら、現在のように食料が十分な状況にある国においては、本能に基づく食事行動をとると栄養過多に陥り、肥満による障害が起こってしまいます。本能は激変する環境においては必ずしも適切な行動をもたらすとは限りません。本能の全てが否定されるものではありませんが、環境とのマッチングが検討されるべきかもしれません。ただし、本能を否定することは大きなストレスを生むことになります。これを克服するためには「学習」が必要かもしれません。人の特徴は本能に対抗するための「理性=知識+知恵」が備わっていることだと思います。(もう少し、技術や環境の変化のスピード制限をした方が良いかも…もしできるのであれば…)感性(本能)に対するブレーキが理性(経験能)かもしれません。ただ、今日の科学技術の発展や環境の変化を鑑みるに、理性が必ずしも感性のブレーキにはなっていないような気がします。残念ながら、現在の人間の理性は十分に機能していないかもしれません。本能に従った欲望を満たすために行っている行動の一部は、残念ながら理性ではコントロールできないと思われます。本能に従った予測行動を制御することは大きなストレスを生むことになり、人々は簡単にそれを受け入れることができないようです。ただ、理性(経験能)は感性(本能)から発展した機能であり、人類だけに備わった特別の能力です。(この点はルバル・ノア・ハラリ氏の「サピエンス全史」を参照。)何れ感性を征服できるものと信じています。もしそれができないならば、本能に従った暴走(戦争や環境破壊など)により、文明に終止符が打たれるかもしれません。


6、記憶と予測(記憶=データ?)

前項で記述したごとく、記憶は大きく分けて、先天的記憶(本能)と後天的記憶(経験脳)に分類できると思います。本項では後天的記憶(経験脳)について考察したいと思います。記憶は予測のためのデータと考えられます。私たちは記憶に基づいて将来を予測して行動しています。「災害は忘れた頃にやってくる。」このことは、大きな災害が時間的に離れているため、記憶に残り難く、データから消えている事に対する警鐘と思われます。予測に必要なデータを記憶に残すため、昔からいろいろな手段が考えられてきました。文書に記録する方法、石碑を立てる方法、伝承などによる方法など多くのやり方が考えられてきました。しかしながら、時間経過とともにそのデータは記憶から遠ざかり、やがて忘れ去られてきました。このことは、津波などの大きな事件だけではなく、私たち個人の記憶データも同じ運命をたどっていると考えられます。遠い過去の記憶は忘れがちであり、また、正確性にも欠けてきます。このため、個人の記憶であっても、何らかの形で記録し明確化しておくことが行動指針(=予測)にとって有用なものと考えます。この有効な手段として、日記が用いられています。また、最近ではデジタル写真や動画が用いられています。行動の指針となるデータは、過去の経験のみならず、過去に勉強したことや気が付いたことも含まれます。予測をするための方法には、トレンド解析やデルファイ法、相関関係を明らかにすることなど種々の方法がありますが、そのためにはデータ(=記憶)が必要です。より多くの、そして正確なデータがより正確な予測を構築できるものと思われます。より多くの正確なデータを収集し、それを残すことが重要であると思われます。もっとも、データはその解析によって有用なものになると思われますので、単なるデータ収集にならないことが肝要かとも思います。また、どこで、何時、どのようなデータを収集し、記憶にとどめるかも重要な点です。最近はデタラメなデータや有象無象のデータが横行していますので、要注意!ネットワークからのデータの中には作為的なものや嘘のデータなどが混在しています。的確な予測のためには正しいデータが必要です。正しいデータの正確な記憶が私たちに正しい予測をもたらし、的確な行動を促すものと思われます。人の能力の中で最も重要な能力は、データが正しいものかどうかを判定する能力かもしれません。


7、予測の方法

動物には防衛本能のような本能に基づく予測システムが組み込まれています。人はその上に経験能による予測システムが追加されています。このため、人は他の動物よりもより現状に合った合理的な予測を行うことができ、的確な行動が可能となります。では予測にはどのような方法があるのでしょうか?本能に基づくと思われる予測方法で「直感」と呼ばれるものがあります。実は多くの行動は直感に従っていると思われます。しかしながら、実は「直感」の中身は、総合的な予測システムであって、本能の寄与が大きいと思われますが、本能のみによるものではありません。無意識に用いている多くの方法(例えばトレンドやデルファイ法、相関関係など)から成り立っています。ただ、直感はそのような方法を綿密に解析して行うのではなく、本能や経験能から推定して短時間に結論を出すものであり、かなり曖昧な予測システムであると思われます。特に本能は前記のように、遠い祖先が経験したデータから得た能力(遺伝情報)がかなりの部分を占めており、現在の環境に適応してない部分があるからです。しかしながら、人間関係の予測においては今でも有効です。なぜならば、すべての人間は同じような遺伝情報を(本能)受け継いでいると思われるからです。(最近ヨーロッパの人々はネアンデルタール人の遺伝子を受け継いでいるとのこと。よってアジア人とは違った本能をもっているかもしれません。)

さて、予測で最も一般的な方法はトレンド解析だと思います。過去のデータから傾向を把握して予測する方法です。この方法は移動平均法や回帰分析などによって傾向を分析する方法です。このような方法は傾向が一方向(たとえが上昇傾向とか下降傾向など)にある場合は有効ですが、周期的傾向を見る場合はフーリエ解析など、他の方法が有効になります。(例えばコンドラチェフの50年景気サイクルなど)要するに、予測はデータがどのようなものかによって、解析方法が異なります。特にデタラメに見えるデータの解析は厄介です。このため最近流行している方法が、インターネットからの大量データを収集し、ニューラルネットワークなどのAI技術を使用してデータ解析をおこなう予測方法です。ただし、そのような方法は個人では困難であり、GoogleやYahooなどのようなIT企業やAmazonや楽天のようなEC企業に限られています。しかしながら、GAFA>のような一部の企業によってデータが占有されることは多くの問題を生ずることになると思われます。このため何れ、個人がネットワーク上の有用なデータを収集して解析することのできる(ハッキングソフトではない)ソフトが現れるのではないかと思っています。なぜならば、明らかに有用な多くのデータがネットワークの中に存在しており、多くの人がそれを利用したいと考えていると思われるからです。しかしながら、すべてのデータが世の中に流出するのは問題です。特に個人を特定するデータが流出することは大きな問題になります。よってデータの収集ソフトとともにデータの流出を止めるためのセキュリティーソフトの開発も必要でしょう。(AI戦争とも言うべき事態が勃発するかも?)但しどのような頑強なセキュリティーでも何れは突破されると思います。(どうしよう!)これからは、データの重要性を個人レベルで自覚し、そのセキュリティーは個人レベルで守らなければならないかもしれません。デジタル技術を他人任せにしていると、ひどい目にあうことになるかも。(なお、ハッカーの多くはWindowsなどのOSソフトの制作に携わったことがあり、OSソフトの中に脆弱な部分を態と設けているとの噂があったような気がしますが、本当ですか?どうしよう!どうしよう!どうしよう!…)ただ、データはネットワークにのみ存在するのではなく、他人との会話や、風景や気候の変化、動植物の生息状況など、ありとあらゆる事物がデータであることを忘れないようにすべきと思われます。(気象庁が生物季節観測の一部を廃止するのは如何なものか…。)

なお、収集したデータはデータマイニング(データ中に存在する傾向や法則などを見出すことで、ABC分析、アソシエーション分析、クラスター分析、ラフ集合理論などの分析手法があります。)による解析が重要で、データの性質や得たい知識の内容によって分析手法を選ぶ必要があります。そうして得た情報は予測のために重要な知見となると思いますが、現状では個人のレベルでは簡単ではないようです。しかしながら、個人でもWEBサイトを運営し、情報を収集しつつ分析することが、もう直必要になるように思われます。いや、もう始まっているかも?時代に後れを取ってはいけないかも!宝は情報の中にあるかも?


8、予測と相関

予測において最も重要なことは相関です。相関はある事象が他の事象に与える影響です。相関には自己相関と相互相関があります。もし相関がなければ、慣性状態となり、変化はあり得ません。自己相関は、現在の自分自身の状態が、過去にあった自分自身の状態によって影響され、また将来の自分自身の状態に影響を及ぼすことです。簡単に言えば、過去があるから現在があり、現在があるから将来があるということです。例えば、現在東京に住んでいる人が1時間後にブラジルに存在することはあり得ません。現在東京にいることが、1時間後にどこにいるかに影響を及ぼします。これを自己相関と言っています。また、相互相関はある事物において、周囲の環境がその事物に影響を及ぼすことです。例えば、現在東京の本社にいる人が、上司からの九州の福岡に出張せよとの命令によって、5時間後に福岡の空港にいることは、相互相関によるものです。要するに、私たちの行動は他人を含む周囲環境と自分自身の過去の状態に依存するということです。当たり前といえばその通りですが、自己相関に関する判断には多くの誤りが見受けられます。自己相関を別の言い方をすれば自己責任ということになります。自分の過去が将来に影響を及ぼすことは当然のことですが、その過去の記憶データを次の事象に対する正確な記憶データとして蓄積できるかといえば、なかなかそうはいきません。成功体験は記憶できても失敗の経験は曲解して記憶されがちです。また、他人を含む外部環境との関係(相互相関)も、予測において重要な因子となります。しかしながら、外部環境は、自分に近い環境を除いて、予測したりコントロールしたりすることが困難です。自分に合った会社と思って入社してみたら、外から見ていた印象とはまるで違っていたなどということも、しばしば起こります。しかしながら、予測が困難だからと言って、予測を怠り、運を天に任せようなどとすることは、無謀としか言いようがありません。私たちの行動は予測なしには成り立ちません。例え、足を一歩前に出すことでさえ…。


9、自己相関(時間的相関)

 現在の自分は過去の自分と関連があります。そして、現在の自己が将来の自己に影響を与えるだろうことも理解できます。このことを自己相関といいます。事象の変化は一般的に連続しています。確かに、ランダムで突然の変化もあるように思えます。しかしながら、そのような変化は自分以外の外部環境や他者からの影響がほとんどであり、自分自身の変化は過去から将来に渡って連続的でしかも、無作為ではありません。よってある意味コントロールがし易く、予測が可能なものと思われます。もちろん、遺伝的な要因による病気の突然の発症など、連続的でない変化も無いわけではありません。しかしながら、やり方によっては(例えば遺伝子検査など)あらかじめ予測することは可能になりつつあります。但し、100%の予測は不可能です。なぜならば、変化は基本的に確率によって与えられるからです。(今日では宇宙の存在自体が確率的であると考えられています。)だからと言って、予測を怠る事は賢明なこととは思えません。なぜならば、過去の状態と全く関連がない状態は出現しません。現在と全く関連のない事象(例えば地震など)と思われる変化もあるようにも思えますが、全ての物体はある空間から別の空間に移動するために時間を必要とします。瞬時に移動することはありません。何らかの現象が飛び飛びであるためには、無限大の変化速度が要求されます。しかしながら、無限大の変化速度はありえません。アインシュタインの相対性原理により、光よりも高速で変化するものはありえません(アインシュタイン/ボーア論争を除いて)。しかも何らかの作用がない限り、物体は慣性移動しかしません。事物の活動は、何らかの作用によって起こされるので、過去の状態と全く関連のない状態は出現しません。このように、現在の自己の状態が次の時間帯に於ける自己の状態に影響を及ぼすことが「自己相関」です。私たちが自分たちの将来を予測する場合、この自己相関が最も重要な因子と考えられます。ただし、自己相関係数は一般的に、時間が経過するにしたがって小さくなります。すなわち時間的に遠い将来に対しては、現状が大きな影響を及ぼすことはないことを示しています。つまり、時間的に遠い過去ほど、現状に及ぼす影響は小さくなるということです。逆に、遠い未来ほど予測し難いということです。当然と言えば当然です。ただし、現状がどの程度将来に影響するかは、状態の因子によって異なります。一般的に大きな状態変化(大きなパワーの変化)は遠い将来にまで影響を及ぼします。


10、相互相関(空間的相関)

予測において最も重要で且つ予測し難いのは他者の行動です。自己の状態は周囲と相関があり、その最も大きな相関関係がある事物が他者(特に自分に近い他者)です。人は常に他者を観察しその行動を予測して対応します。特に近親者や隣人、同じ会社の人々など近隣の人々との相関は大きく、多くの問題が生じます。アドラーはコミュニケーションこそが人々の最大の問題であると言っています。ただ、予測における相互相関の対象は人のみではありません。人の行動において必要となる予測は、外部環境の全てと関連していることは疑う余地がありません。しかしながら、人の外部環境を把握する能力には限界があり、外部環境の全てを考慮して予測することは不可能であり、その必要もありません。自己に取って影響の大きな要因との相互相関を分析すべきですし、実際多くの方がそのようにしていると思います。但し、「自己に取って影響の大きな要因」とは何か?と聞かれた時、かなり戸惑ってしまうのが現状だと思います。勿論、近々の要因は比較的簡単に分析できるかもしれませんが、長期的な要因(温暖化など)はその影響が大きく社会全体に及ぼすにも関わらず、人はあまり感心を示しません。これは、短期的な要因は身近にあり、その把握が簡単ですが、長期的要因は個人的な取り扱いが困難であり、またその影響が大きく、把握が困難であるからであると思われます。しかしながら、実は長期的な要因ほど感心を持たなければならないことだと思います。特に10から20年程度で影響が出てくる技術や経済環境、また50から100年程度で影響が出てくる自然環境には感心をもっていることが必要と思われます。でも実際は、近親者や隣人、同じ会社の人々など近隣の人々との関係に感心があり、そのことへの対処に翻弄しているのが現状だと思います。しかしながら、大きな環境変化は私たちが関心を寄せてない事物や、誤った情報(太平洋戦争における戦果情報など)から生じていることが往々にしてあります。重大ではあるが関心を寄せない原因には、自己との相関関係が不明であったり、無関係と誤解している場合が多く見受けられます。 また、意図的に誤った情報が発信されていることもしばしばです。私たちは自分に都合のよいデータを収集しがちです(確証バイアス)。また相互相関に関して、承認欲求を満たさんがために、予測に反する行為を実行する事があります。例えば、金銭的に余裕がなく、本来貯金すべき状況にも関わらず、ベンツを買う行為などです。アドラーは他者とのコミュニケーションにおいて、承認欲求に基づく行為は避けるべきと提言しており、「嫌われることへの勇気」を持つことを提唱しています。確かに個人の欲求を満たすことにおいて、他者からの承認は不要とは思われますが、やはり事によりけりだと思います。すべて、極端は避けるべきかもしれません。相互関係を扱うことは複雑で面倒ですが、なるべくバイアスを排除し、客観的なデータ収集とその解析が肝要かと思います・


11、必然と偶然

通常、人は意思をもって行動しているため、多くの事象は必然の結果であることが多いと思われます。また、そうでなければ安心して行動できません。人は日常の行動において、偶然の事象が多くなると思われる事項については、予測が困難となるため、なるべく避けようとします。(ただし、遊びにおいてはギャンブルを好む人が多く存在します。人は心の底では、偶然を好む?)さて、予測において最も厄介な問題は「偶然」です。偶然は予測の範囲外の事物であり、その対処が困難な場合が多く見受けられます。(偶然は必ずしも悪いことではなく、良いことも多々あります。ただし、偶然を期待することはあまり推奨できません。)では偶然と必然はどこが違うのでしょうか?一般的には予測可能なことが必然であり、予測不可能なことが偶然であると認識されています。必然の中には、原理的に起こることが多く含まれます。例えば地球の回転により昼と夜が来ることは必然です。また、意図的に起こること、例えば明日会社に行くことはその人の意図する行為であり必然の事象です。(ただし、意図的に起こされたことも、それらが相互作用して偶然の現象を起こすこともありますが、一般的にはそのようなことが起こらないように行動しています。)できれば、多くの事象が必然である事が望まれます。しかしながら、実際には偶然の事象が多く存在しています。ただ、嘗て偶然と思われている事象の中にも必然であることが多く存在しました。実は科学技術は偶然を必然に変える手段の一つであるとも言えます。嘗て予測できない事象は偶然の出来事と考えられ、神や悪魔の仕業であるとか、魔女の呪いなどと考えられていました。しかしながら、例えば、天候などはコンピュータや観測機器の進歩によってかなり良い精度で予測可能となり、雨乞いをする人は少なくなっています。(てるてる坊主を作っている方はまだ存在していますが…。)日食や月食も神の仕業ではないことは天文学の進歩によって理解されてきました。今後、地震や津波もより高精度で予測可能となると思います。ただし、すべての事物が予測可能になるわけではありません。偶然の中にはランダムに起こることやカオス的な事物が存在します。更に、偶然の出会いなど相互作用の結果から生じる事象も多く存在します。予測は重要であり、多くの努力が偶然を必然にすべく成されていると思われますが、偶然の事象を無くすことはできません。

ただ、私たちは自己の観察不足や無知によって起きた事象を、偶然の事象と勘違いしていることがないかどうかを反省すべきかもしれません。以外と偶然の事象は少ないかもしれません。


12、偶然と確率

前記のごとく、偶然の出来事とはランダム(無作為)の出来事です。偶然とは、意図的であったり、原理的(例えば地球が太陽の周りを1年かけて周回すること)であったりしないことです。多くの場合、偶然は予測が困難な厄介な問題です。(ただし、厄介なことばかりではありませんよ!たまたま宝くじに当たったりしたら、こりゃうれしい!)この世には偶然の出来事も多々あります。旅行に行ったら、たまたま中学時代の友人に会ったり、電車事故に遭って重要な会議に遅刻したり、偶然は予測できないばかりかその対処も問題になります。多分科学技術がどんなに進歩しても偶然の事象は無くならないし、また予測できないと思われます。しかしながら、まったく手が付けられないものでもありません。偶然に対する一つの予測方法が確率です。確率はある現象の起こりやすさの割合を示したもので、その度合いを0から1まで(0%から100%という場合もある)の数字で表現したものです。よって、これから起こそうとしている行動において、特に偶然が大きく作用していると思われる事項に関しては、その起こりやすさの確率を検討しておくことが必要かもしれません。ただ、確率を検討する必要がある現象は、そもそも因果関係が薄弱な現象で、偶然が支配している現象であるため、フェールセーフを考慮しておく事が重要であると思われます。さて、この「確率」はどのようにして算出するのでしょうか?実は、確率という言葉は結構曖昧で、数学的に計算できるものもありますが、過去の経験に基づく感覚的なもの、例えば降水確率(一応過去のデータに基づいてはいるが、気象予報士の感覚的な判断が大きく作用していると思われます)のようなものもあります。また、数学的に計算できても、「確率」は曖昧さの程度を表現するもので、確率のみに頼って行動することは避けた方が良いと思います。確率は非常に多くの事象の中に現れるであろう事象の割合(大数の法則)を表しているため、数回の事象ではたとえ確率が80%であっても現れないこともあり得ます。降水確率が30%であっても傘は持っていくべきと思います。通常の活動において確率が計算できる事象は稀です。通常の活動では、何となく起こりそうであるとか、何となく危険であるとか、確率を計算して行動を起こすことはほとんどありません。しかしながら、確率に関する基本知識を勉強しておくことは多分無駄ではないと思います。例えば、「ギャンブラーの誤謬」という心理現象がある事を知っておくことは、無駄な事ではないと思います。実際に確率を計算できるかどうかは、あまり重要ではありません。実際の確率を計算する必要がでたならば、計算ソフトでも準備しておけば十分です。しかしながら、人の行動の多くが予測に基づいているならば、「確率」に関する基本的な知識は重要であると思われます。要するに偶然に起こったことも、確率を考慮することによって失敗の確率を減少させることができることを知っておくことは有意義なことであると思います。

【追記】ギャンブラーの誤謬について

「ギャンブラーの誤謬」というのは、賭け事において陥りやすい誤りのことです。例えば、コインを投げて表と裏のどちらが出るかをかけたとします。この時、今5回続けて表が出たとします。次にコインを投げた時、裏の方が出易いと勘違いすることです。実は表と裏の出る確率は何回同じ面が出ようと、常に半々(50%)です。


13、偶然と運

今でも運は存在すると信じている人はかなり多いと思われます。宝くじを買って、金色の袋に入れ、神棚に供えている人は、神様が運を運ぶものと思っているようです。でも確かに、実際に起こりそうもない幸運が続いた(競馬で3連単を3レース続けて当てた!)という経験をしたことがある人の話を聞いたことがあります。(私は一度もそのような経験がありません。)神様は運を運んでくれるのでしょうか?多分そのようなことはないでしょう。運をあてにすることは、やめた方が良いと思います。但し、運は存在します。偶然(幸運)が続くことはあり得ます。例えばサイコロを3回投げて、すべて1の目が出る確率は約0.46%です。すなわち約200回の試行によって1度は起こりえることになります。まったく起こりえないこと(例えば、太陽が東から上ることなど)は存在します。しかしながら、どんなに可能性少なくても、起こる確率が0でない限り、その事象は起こりえます。奇跡と呼ばれる現象は、その現象が起こり得る確率が0でなかった証拠であると考えられます。つまり、そこには奇跡が起こり得る何らかの原因が存在するということです。例えば、治る可能性がない病気が治ったなどという話をよく聞きますが、それは奇跡ではありません。治る確率が0ではなかったということであり、その原因を追究すれば、その病気に対する新たな知見が得られるものと思われます。運とは、起こる確率が小さいため起こりそうもないことが起こることであり、したがって、運や付きが回ってくることはあり得ますが、それを期待したり、神様にお願いすることは、賢いこととは思われません。おそらく、神様はそのような賭けのような願いを無視するのではないかと思います。


14、虫の知らせ

 「偶然起こったことを予測できた」という経験を持つことがままあります。これを「虫の知らせ」などと言います。このような現象を完全に否定してしまっていいものか?私は超常現象を信じている訳ではありませんが、完全に否定することはできないと思っています。かつて、アインシュタインが量子力学について異論を唱えたのは、理論に(古典的な意味での)矛盾が存在すると考えたからです。現在ではほぼ多くの学者が量子力学の正当性を信じていますが、理論的に矛盾があると思うことにも耳を傾けることは必要かもしれません。現在でも、霊感のような超常現象を信じている方は数多く存在します。占いや予言などを信じ、それに従って行動する人は後を絶ちません。心理学者のカール・グスタフ・ユングは「虫の知らせ」のような予兆について、「シンクロニシティー(共時性)」が存在するといっています。ノーベル賞物理学者のパウリも同じようなことを考えていたようです。彼らは、物事には因果関係がないにも拘わらず何かが同時に起こることがあると言っています。「家の屋根にカラスが止まったら悪いこと、例えば事故に遭う、などのことが起きる」といった、一見何の関連もないことが起きうると考えていたようです。これを「迷信」として片づけてしまって良いかどうか?占いや予言については、予言した内容があやふやであったり、誰にでも起きそうなことを占っていたりすることが多いようにも見受けられますが、一度でも「虫の知らせ」を経験すると、なんとなく超常現象を信じてみたくなります。バーナム効果(人は曖昧なことを自分のこととして捉えたがる)という心理現象があることは知っています。しかしながら、人は偶然を嫌います。奇跡は神の仕業であり、偶然ではあってはいけないのです。因果関係のない出来事、特に災害や不慮の事故など、悪いことには理由が必要です。「今日庭の石につまずいて足の骨を骨折したのは、昨日庭の古い柿木を切ったためだ」など、何らかの理由が必要です。また、一日の安全を祈って仏壇の先祖の位牌に手を合わせる人は、今でもかなり多いと思います。しかしながら、科学はこれまで多くの不思議を解明してきたことを忘れてはならないと思います。何かの不思議に出会ったら、そこに新たな発見があるかもしれません。


15、直感と予測

さて、ここで直観について考察しておきたいと思います。一般的に予測は確率を計算して行われることは少なく、直感的に行われます(ヒューリスティックス)。直感は種々の問題があり、その根本的な原因は感性の作用が大きいことにあります。感性はその基になるデータ(経験)が遠い過去の環境データに依存している部分が大きいことです。生物は、それが誕生した数十億年前の環境によって得た性質をいまだに備えていることがあります。例えば血液中の塩分濃度が0.9%程度であるのは、生物が発生した当時の海の塩分濃度が0.9%程度であったためであると考えられています。(現在の海水の塩分濃度は約3.5%ですが、今後も増加傾向にあると考えられます。)また、生物の可視光は、水中の光の透過率が大きな波長領域にあり、水中で遠くまで見える波長になっています。人間の先祖がナメクジウオだった証拠の一つかもしれません。人が甘いもののみならず、お茶やコーヒーなどの苦い味を好むことは、人の進化の過程で、食物を得難い時代の経験に基づくと考えられています。感覚の多くは遠い過去からの環境から得たデータに依存しており、感性の多くはそのような感覚に依存しています。このため、現在のような科学技術が発達した時代においては、感性は間違った予測をしてしまうかもしれません。12項で記述した「ギャンブラーの誤謬」もその一つだと思います。もちろん、直感は感性のみによるわけではなく、理性も関与しています。しかしながら、感性の寄与が大きいことは疑う余地がありません。直感を頭から信じることは如何なものかと思います。但し、直感は人間関係の予測においては重要です。なぜならば、人間同士の感性はほぼ同じような環境データに依存しているからです。ただ、ヨーロッパ系の人にはネアンデルタール人の遺伝子が組み込まれていると考えられているようですので、多少の感性の違いがあっても不思議なことではないと思います。また感性は本能に依存するのみならず、その人の育った環境にも大きく依存しますので、相手の周囲環境にも気を配ることが重要かもしれません。なお、直感が大事な場面は瞬時の判断を必要とする時であり、時間的な余裕のある場合は、むしろ直感を排除すべきであり、十分なデータ解析が正確な予測につながると思います。


16、直感と誤り

私たちの判断の誤りは、先入観や偏見、思い込みなどのバイアスによって生じます。本項ではその中でも、直感に依存する誤りについて考察したいと思います。直感には何故誤りがあるのでしょうか?直感の誤りの原因の一つに「錯覚」があります。錯覚は聴覚、視覚、触覚、味覚、臭覚などほとんどの知覚に生じます。その一つの原因がセンサーの能力にあります。例えば聴覚は20Hzから20KHzまでの音波しか聞くことができません。また視覚は360nmから830nmの波長しか感知できません。また、視覚は網膜上の平面画像から立体的な外界をとらえるため脳内で種々の仮定をしています。例えば、同じものが遠くにある時は小さく見えるなどの仮定をしているため、同じ距離にあるが、一方が他方の相似形で小さい場合は、他方の方がより遠方にあると判断します。要するに、私たちの知覚センサーは、環境から十分な情報を得ることができない結果、脳は適当な仮定の基に環境を把握しています。知覚センサーからの情報だけでは、環境を正確に把握できないことを理解しておくべきと考えます。このような知覚的な原因による誤りは、時に交通事故などにつながることがあり、知覚の限界については常に注意を向けておく必要があると思います。さらに、直感による間違いの中に、確率的な間違いを生じることがあります。ギャンブラーの誤謬もその一つです。また、モンティホール問題もその一つですが、かなりややこしい問題で、簡単に理解できない確率問題もあります。今、3つの茶碗の中の1つに当たりくじが入っているとします。ある人にその茶碗の一つを選んでもらい、その中の当たりくじが入っていたらそれを与えることとします。そして、その人が茶碗を選んだ後、残りの当たりくじの入っていない茶碗を開けて見せます。そして、その人に、今選んだ茶碗を他の一つと交換してもよいと告げます。この時、その人は茶碗を交換すべきかそのままにしておくべきか、どちらが有利かというのが、モンティホール問題です。この時、一般的には交換してもしなくても、当たりくじの入った茶碗を取れる確率は変わらないと思われるかもしれません。しかしながら、交換した方が当たりくじの入った茶碗を取れる確率が上昇します。(もし、興味があったら、その理由を検討してみて下さい。)直感を磨くことは、議論の場など瞬時の判断が必要な場面では、重要なことと思われます。しかしながら、時に大きな誤りを生じることに注意すべきと思われます。


17,認知バイアスについて

認知バイアスは思い込みとか固定観念とも言われています。私たちを取り巻く環境は複雑で必ずしも十分な情報を得ることができません。このため、常に不十分な情報を基に判断しなければならないことが多く存在します。この時、人は自分にとって都合の良い情報を基に判断をします。この時、その判断にバイアス(思い込みの要因)がかかってしまうのです。認知バイアスの顕著な例に、ハロー効果があります。例えば、高価な食事はおいしい、高価な絵は美しい、など「高価=良いもの」と考えてしまう。また、服装がよい人は立派な人、などもその例です。このような顕著な特徴によって判断が引きずられることを、ハロー効果と言っています。その他にも、

フレーミング効果…  見せ方によって効果が変わる。

現状維持バイアス… 人は変化を嫌う。

バーナム効果…    だれにでも当てはまることを、自分にだけ特別に当てはまると考える。

感情バイアス…     感情に左右される。

信念バイアス…     終わりよければ全て良しと考える。

自己奉仕バイアス…  この成功は私のお陰である考える。

プロスペクト理論…   得よりも損を意識する。

内集団バイアス…    同じ集団内の人をヒイキする。

正常性バイアス…    異常事態を正常状態と考える。

確認バイアス…     自分が正しいと考えることのみを斟酌する。

など、多くの認知バイアスが報告されています。このような心理現象は、占いに利用されたり、時々詐欺に利用されたりもします。このような認知バイアスによる予測の誤りはかなり日常的に経験しています。ただ、その方が楽しいかもしれません。高価な料理を食べて、美味しくなかったと思うことは、ストレスが溜まります。単純に「高価な料理=美味しい」と感じた方が楽です。人は楽な方が良いと思うものだと思います。また、この認知バイアスは少ない情報から予測や判断をする場合に有効であり、日常生活には必要な能力(?)です。なぜならば、予測や判断ができなければ、行動ができないからです。ただし、そこには大きな間違いが存在する可能性があるため、後日再度その判断が正しいかどうかを検討する必要があると思います。


18、記憶の誤り

記憶は予測のための重要なデータです。しかしながら、私たちの記憶には多くの誤りがあります。実は記憶はかなり不正確であることが多く見受けられます。よくテレビの刑事番組で、目撃証言が誤っていたり、不確かだったりして、刑事が翻弄する場面がありますが、実は実際にもそのようなことがあるようです。特に加齢とともに記憶は不確かになっていくようです。バートランドラッセルの世界5分前仮説は、記憶によって過去が存在したことを証明することの困難さを提示しています。記憶は実際にあったことのみを記録しているとは限りません。記憶にはそれに対する何らかの思いや感情が加わって記録されています。その思いは記憶を歪曲したり、自分の都合のよいように変えてしまうことがあります。また、記憶には「虚記憶」というのがあるようです。これは、まったく経験したことのないことを、経験したように記憶してしまうことです。人には想像力があります。多くの記憶を組み合わせ、実際にはないものを脳内に描くことができます。想像力は人にとって最も大事な能力であると思います。しかしながら、人に特有の想像力は時に仮想現実を生み、それを事実であると誤認します。記憶が不確なものであること認識することは重要な事かもしれません。ただ、記憶が曖昧であることにも、良いことはあります。私たちには、忘れたいことも多々あります。ですから、そのような記憶が曖昧になったり、できれば忘れ去ることができれば、良いと思います。しかしながら、そのような記憶に限って正確に記憶されてしまいます。よって、失敗や嫌な記憶は、より良い方向に向かうための糧にすることが肝要かもしれません。


19,記憶のデジタル化

現在、私たちの記憶の一部をコンピュータを用いて記憶回路に記憶することが盛んにおこなわれています。コンピュータは単に記憶を記録するだけでなく、その記憶を解析することが可能です。しかもその記憶は改ざんしない限り正確です。何を買ったか、どこに行ったか、何を食べたかなど、個人単位でも集団単位でも収集可能になりつつあります。これまでのように日記や手帳に書き込まなくても、パソコンにデータとして格納しておけば、後に記憶をたどったり、その解析が必要ならば、いつでも可能になり、パソコンの使い様によっては、記憶の間違いは激減するかもしれません。ただその記憶が他人でも把握できることに、問題が生じるかもしれません。現在はAmazonで購入したものは、購入した個人とAmazonのみが把握しています。私がアリオなどの店舗で購入したものが何であるかを、Amazonが把握することはありません。しかしながら、マイナンバー制度が浸透し、お金の支払いがデジタル化して現金が消える日もそう遠くないと思われます。多くのデータがデジタル化し、ネットワークで繋がる将来においては、データの管理が更に重要になります。いったい誰がその管理をするのでしょうか?一つの案はAI(人工知能)に任せることです。AIは感性を排除できます。客観的な判断が可能です。きっと理想的な判断ができるでしょう。ただし、理想の中身が問題です。理想の判断とは?理想の判断は全ての人に共通でしょうか?近年、ヨーロッパの国々では死刑を廃止している国が多くあると聞きます、しかしながら、日本人にはそのような法律は受け入れ難いといえます。理想は人によって、国によって、人種によって異なります。AIに判断を任せると、手塚治虫氏の「火の鳥 未来篇」に記述された人工知能同士の戦いによるメガロポリスの破壊のようなことが起きるかもしれません!恐ろしや!やはり「立派な人(?)」を育てる環境や教育が必要かもしれません。


20,予測の正確性

予測はどこまで正確になるのでしょうか?私たちの世界には、多くの不確定な現象が存在し、予測が困難な事象が数多く存在します。そして、そのような不確定な事象を少しでも正確に予測しようと努力しています。天気予報、経済状況、選挙、野菜の生育、子供の将来などなど、私たちが正確な予測が必要であると感じていることは多く存在します。しかしながら、現実にはランダムな現象やカオスのような現象が起きることは避けられません。すべての現象が予測可能になることはありません。ただし、現在予測不可能と思われていることのすべてが将来に渡って予測不可能であるとはかぎりません。天気予報や地震などの予測は、各種測定データの精度向上や解析技術の向上によって、日々その予測精度が向上しています。予測精度の向上は科学の重要な使命でもあります。しかしながら、予測が全くできないものや、その精度向上にも限界があります。特に時間的に遠い未来の予測は、近い未来の予測精度に比較して、かなり劣るものとおもわれます。それは、時間経過とともに相関係数が小さくなるからです。このことは、予測が当たらない場合の対処方法が重要であるということだと思います。例えば、10年後のある事象の予測をしたら、毎年予測のためのデータを更新して逐次再予測を行うなど、定期的な予測の更新がその一つの方法だと思います。ただ、精度のない予測ならしない方が良い、と考えることはやめた方が良いと思います。環境の変化に臨機応変に対処するためには、あらかじめより多くの対処方法を検討しておくことが肝心だと思います。ただ、準備にやり過ぎはないとは思いますが、あまりに多くの予測に対処しようとすると、無駄な労力を使うことになります。やはりより正確な予測を行うことに努めることが肝心かもしれません。


21、予測と傾向

多くの現象には傾向(パターン)があります。周期的、増加的、減少的、  dB的、直線的、ランダム的(無作為的)など、現象の傾向を把握することは、非常に重要です。しかしながら、一般的には傾向は長期間に関するその現象の変化であり、短期的にはそのような傾向から外れる場合が多々見受けられることが多いと思われます。私たちはそのような短期間の変化に踊らされて、全体の傾向を見失うことに注意すべきと考えます。無論、短期的な変動への対応も重要ですが、長期的な傾向を見失った結果、大きな失敗につながることがあります。予測は短期、中期、長期のように、時間を区切ってその期間内の傾向を把握することが必要です。ここで移動平均の手法が有効かもしれません。移動平均は一種のローパスフィルターです。短期的な変化を取り除き、長期的な変化を予測することができます。また、フーリエ解析を用いれば、どのような周期の変化が重要かを予測することが可能になります。また、聴覚のように人の感覚はdB的(ロガリズミック)に検知することが知られています。このため、データの種類によっては、それをあらかじめ対数スケールに変換しておくことも、傾向を把握する上で良い方法かもしれません。パターンの把握は予測にとって最も重要な事項の一つです。


22、予測の重要性

予測はなぜ重要なのでしょうか?いわずもがな、予測なしには何ら行動ができず、予測の間違いが悲劇をもたらすからです。場渡り的に、その場その場で判断していれば、きっと悪い結果をもたらすこととなるでしょう。しかしながら、予測が困難なことは前述のごとくです。では、そのためにはどのようにすべきでしょうか?多くの可能性のある予測の中から、より可能性が高いものを選択し、その準備をはじめることです。特に、良い方向よりも悪い方向に対処することを重視すべきと考えます。また予測にはデータが必要です。正確なデータなしに正確な予測をすることはできません。一般的に、判断に必要なデータの多くは経験によるところが多いと思います。しかしながら、それだけではデータが不足すると思います。特に若年層では経験を積むための時間が十分ではありません。よって書物や講演などからの知識を取り入れることが重要かもしれません。正確な予測をする為には、正確なデータをなるべく多く取得することが重要であり、またそのデータの解析力を向上することが必要となります。そして、予測が正確でなければ、余分な準備をすることとなります。人の能力は無限ではありません。また、得手不得手があり、予測に正確性が欠けると、準備事項が多くなり、各準備事項は手薄になりがちです。できるならば、一つの準備事項に集中できることが望ましいと思います。ただ、一般的に、人が予測すべきことは同時に複数存在します。会社のこと、家族のこと、知人のこと、健康のことなど、人を取り巻く環境は多義に渡っています。しかもそれらは複雑に関連しています。取得すべきデータは非常に多く、時に正確性を損ねます。そして、その不正確なデータが人間関係を損ねたり、事業の失策に繋がります。そのような失敗を防止するために最も注意すべき事項が、認知バイアスであると考えます。人は自分を正当化することが大好きです。失策を認めたがりません。これは他人に対してのみならず、自分に対しても同様の心理が認められます。頑固は一見筋の通った好ましい性格と見られがちですが、事象によります。環境が激変する現代においては、柔軟な頭脳が必要とされると思います。また、そのように、柔軟な対応は、正確なデータ取得と緻密な解析力によって得られるものと思われます。直感が通用するのは過去のことで、今後はAIなどを利用したより正確な予測が必要になるとと思います。これは事業者に限ったことではなく、個人レベルでもAIの活用が必要になると考えます。とにかく大変な世の中に突入しているようです。

マズローは、人は自己実現欲求を満たすことによって満足できる人生を送ることができるといっています。このためにも、予測能力を養うことは重要なことであり、ありとあらゆる手段を講じて正確な予測をすることをお勧めいたします。(マズローの理論を批判する方も多くおられますが、これまで批判されなかった「心理学理論」はほとんどないと思われます。それだけ人の心理は理解し難いとも言えます。)


余談1、成功の可能性

マザーテレサは「神様は私たちに、成功してほしいなんて思っていません。ただ、挑戦することを望んでいるだけ」と言っています。可能性が少ないからと言って、あきらめてはいけないのかもしれません。例え可能性は少なくても、夢の実現に向かって努力することも大切なことと思います。或いは、夢が実現できなくても、結果ではなく、努力する過程の方が重要かもしれません。確かに、結果だけを見て評価することは、好ましいこととは思われません。ただ、可能性の少ないことに挑戦し、努力した結果、成果が出せなかった場合、私たちはそのことに満足できるでしょうか?努力が実らなくても、その過程に満足できるでしょうか?マザーテレサが言うように、挑戦し努力した過程に満足しなければいけないのでしょうか?私を含めた多くの方が、結果が重要だと考えていると思います。挑戦することは重要だと思いますが、可能性の少ないことに挑戦することは、やはり無謀であると考えます。ただ、可能性の大小の判断はかなり難しいことに注意すべきかもしれません。可能性の大小は、挑戦する事象と挑戦者の実力の掛け算で決まります。例え挑戦する事象の成功確率が小さくても、挑戦者のその事象に対する力量が大きければ、可能性は増加します。多くの場合、挑戦者の力量が不足していることが、失敗の原因ではないでしょうか?可能性は挑戦者と挑戦事象の双方に依存します。自分自身を客観的に評価することはかなり難しいことなのかもしれませんが、成功の確率は「自分自身を客観的に評価すること」に依存しているかもしれません。

余談2、経済の周期性

私たちにとって、経済環境は最も生活に直結した事象であり、多くの方がその予測をより正確に行い安定した経済環境を実現しようと努力しています。数年前にピケティ氏が経済状態の不平等について「21世紀の資本」という本を出版していますが、経済環境はまだ理想の状態ではありません。多くの方が納得できる安定した経済環境は、いまだに得られていません。この要因の一つに、経済環境の予測の困難さがあると思います。天候などの自然現象、国家間の関係、宗教的な問題など、あまりにも多くのことが経済に影響しているため、それらの寄与を分析して予測することは、現実問題不可能と思われます。ただ、これまでの経験を基に、その傾向を見つけようと努力した結果いくつかの周期的な現象が指摘されています。例えば、コンドラチェフの好不況の50年周期説や自動車販売台数の10年周期説など、多くの経済現象に周期的な傾向がみられます。経済の予測は私たちの生活に大きな影響があるため、今後も多くの解析が行われ、より正確にできるようになると思われますが、株価予測において、いまだに一目均衡表などの経験則を用いたりしている現状を見ると、今後の大きな課題であると思います。ただ、経済に周期性があるということは、悪い状況のみではないことであり、コロナ禍の後には大きな経済発展が待っているかもしれません。


余談3、虚偽と真実

ドイツのゲッペルスは嘘も1000回言えば、本当のことになるといっています。真実と虚偽の見分け方は、実はかなり困難です。人は絶対評価が不得手です。相対的にしか物事を評価できません。更に、真実と虚偽の間に「グレーゾーン」があるため、人々は真偽の評価に戸惑います。サプリメントや健康食品などの宣伝において、時々首を捻る表示が目につきます。ただ、虚偽は必ずしも悪いことばかりとは限りません。「嘘も方便」という諺があるように、物事をスムーズに行うためには嘘も必要になることがあると思います。ただ、太平洋戦争時の政府報道など、明らかに事実を曲げた報道など、人々の予測を誤らせるような嘘を見分けることは重要なことと思われます。特に、インターネット上には、多くの虚偽記載があると思われます。虚偽と真実を見分ける能力は知識に存在すると思われます。豊富な知識によって、虚偽と真実を区別する能力が得られると思います。

なお、嘘にしろ真実にしろ、繰り返し言うことによって、人々の脳裏に記憶されることに、注意すべきかもしれません。(選挙でもっとも重要なことは、名前を連呼することらしい。)


余談4、予測と心理状態

認知バイアスなど、予測を誤る原因は種々指摘されていますが、実は最も重要な予測の誤りの原因は、日々の精神状態の変化です。人はいつも一定した心理状態にはありません。悲しかったり、楽しかったり、怒りの状態にあったり、その時々で人の心理状態は変化します。そのような平静でない状況での予測は概して大きな誤りを招くことがあります。自分では平常心を保っているつもりであっても、常に心は変化しています。仕事のこと、家族のこと、収入のことなどは言わずもがな、近年は多くのニュースがTVやインターネットを通じて入ってきます。自分では気にしていないと思っても、実は大きく影響されていることがあります。重要な予測をしなければならない時には「平常心」を心がけることが大切だと思います。ただし、人にとっても最も困難なことは、平常心を得ること、であることを認識すべきと考えます。


余談5、サブリミナル効果

実は、私たちは、知らぬ間に記憶させられていることがあることに気付くべきと思います。その最もよい例は、サブリミナル効果です。サブリミナル効果は、人に瞬間的(0.2秒以下)に映像を見せると、見た人はそれを意識の中で「見た」と感じません。しかしながら、無意識の中で「見た」ことを感じています。要するに、人に瞬間的(0.2秒以下)に映像を見せることによって、無意識の中に映像を植え込むことが可能になります。この現象を、例えば、選挙運動に利用したとします。TVに 0.2秒以下の短時間、候補者の写真を1分ごとに映し出します。するとこれを見た人は、見たときには見たと気付かないけど、その候補者の選挙ポスターを見たとき、この人は以前に見かけたことがあるように感じてしまいます。そしてその候補者に親近感を抱き、なんとなく投票してしまうのです。恐ろしや!本当にサブリミナル効果は存在するのでしょうか?私は実際に実験したことがないので、分かりませんが、TV業界ではそのような映像を流すことを禁止していると聞いたことがあります。


余談6、予測と法則

予測には法則や傾向を見出すことが重要です。特に、株価や為替レートなど、経済的な予測において、その変化の法則を多くの方が研究(一目均衡表、ボリンジャーバンド、RSI、ウィリアムズ%Rなど)しています。しかしながら、残念なことに、いまだに的確な予測ができる法則は発見されていません。現在はAIによって、これまでのデータから傾向を分析して予測する方法が用いられているようですが、そのような方法が適用できる予測期間は、それほど長くないようです。法則はデータの中に存在することは事実ですが、法則は結果に対する要因とその寄与を明確にする必要があります。よって要因が多くあり、その要因のそれぞれの寄与が小さく分散している場合は、法則を見出すことが極めて困難になります。AIは法則を見出すことではなく、データから傾向やパターンを見出すことによる予測方法です。よって、傾向が時間と共に大きく変化する事象の予測には向いないことに注意すべきです。


余談7、確率の適用範囲

確率の理論は大数に於ける法則であり、数回の施行しかない事には適用できません。従って、たった一度の事物の予測に、確率の法則を適用してもその予測は当たらないかもしれません。ではたった一度の人生において、確率の法則を適用することは間違いでしょうか?課題によっても違いますが、確かに確率が悪くても、挑戦すべき事は多くあると思われます。確率論のみで、たった一度の人生を送ることは愚かなことかもしれません。時によっては大博打を打つことも必要かもしれません。しかしながら、同じような人生を送っている方はかなり多く存在しますので、そのような方の人生を参考にして成功の確率を斟酌することは重要なことと思われます。豊臣秀吉のように、農家に生まれた人が天下人になる確率は0%ではありません。そのような事例に挑戦することを、私は否定しません。しかしながら、確率が小さいことを常に頭の片隅においておくことが重要と考えます。人生はたった一度なので、失敗したからと言って、やり直すことはできません。


余談8、本音と予測

アメリカの大統領選挙で、トランプ氏が初当選した時、世間は驚きました。報道によれば、選挙人が本音を言わなかったので、予測に間違いが生じたとのことです。データの種類によっては、正確なデータを得ることが困難なことがあります。予測においては、その予測をするためのデータが最も重要です。データがどの程度正しいかを把握することは、非常に重要です。特に人の意見には注意すべきです。人はいつも正直であるとは限りません。(私も、これまでに一度も嘘をついたことがないとは言いません!)気分によっても意見を変えます。また、データの間違いの中に、データを収集した機関が極点な値のデータを意図的に削除する場合があることにも注意すべきです。平均的な値から大きく外れたデータは、何らかのデータの収集ミスであるとして、データから削除する場合があります。しかしながら、実はそのような極端なデータの中に、データに重要な寄与をする要因が潜んでいることがあり、予測に大きな間違いを生じることがあります。リコール製品の多くに、そのような傾向があるような気がします。正しいデータを得ることは意外と難しいと思います。くれぐれも、偽データにはご用心!


余談9、臨機応変

一般的に、予測が当たるとは限らないことは、誰もが理解していると思います。だからと言って、予測をしないと、失敗を招くことになり兼ねません。不測の事態には臨機応変に対応することが肝要ですが、なんの準備もなしに臨機応変に対応することはできません。もし上手く切り抜けたとしたら、それこそ幸運であったとしか言いようがありません。臨機応変に対応するためには、あらかじめそのような事態を想定して準備しておくことが肝要かと思います。多くのことを経験しておくことが重視されるのはそのためです。なぜならば、経験なしに不測の事態を想定することが困難なためです。ただし、ここでいう「経験」とは実際に経験することを意味しません。経験者の話を聞いたり、その記録を読んだりすることも経験の一つです。


余談10、予測の時期

人は常に予測して行動しています。しかしながら、前記のように、ほとんどの場合、意識して予測はしていません。毎日明日のことをじっくり考えて行動していては疲れてしまいます。その場対応で何とか切り抜けることも必要です。しかしながら、重要な事象では行動に間違いがないようにするため、慎重に予測しなければなりません。ではどのような時に慎重な予測が必要になるのでしょうか?言わずもがな、人生において重要な事象、例えば高校受験や就職試験、結婚相手の選択など人生には少なくとも5回程度の重要な場面が存在し、慎重な予測が必要になると考えます。そして、自身の人生において、どのような重要な事象が存在するであろうかは、ある程度あらかじめ想定が可能です。そしてそのような事象への対応を予測して行動することが肝要です。無論、周囲の環境は常に変化するため、予測通りに事が進むとは限りません。しかしながら、予測なしに行動することは間違いが起きる確率を増すことになります。予測があるからこそ、その修正が可能になります。重要な事象での場渡り的な対応はお勧めできません。


余談11、予測と期待

私たちの多くは、将来に多くの期待や夢を抱いています。このことは、私たちのやる気を引き出し、世の発展に寄与していることは事実です。しかしながら、そのため期待通りにいくことを願って、予測に間違いを生じます。認知バイアスの多くは、期待と関連しています。夢や期待を現実に照らして見出すのか、現実を飛び越えて見出すのかによって、その夢や期待の実現の可能性が違ってきます。可能性を無視して挑戦することに意義があるかどうかは、難しい判断であるとは思いますが、私は人生に賭けは禁物と思います。もし、現実を飛び越えて夢の実現に挑戦するならば、それ相応の努力をしなければならないことを覚悟する必要があると思います。なお、私はそのような挑戦をしないことにしています。なぜならば、すぐにめげるたちなので!


余談12、予測の修正と権威

 人は予測を修正しにくい性質があります。要するに、頑固なのです。一度決めたことは簡単には修正できません。間違いを認めることは、自己否定になることが多いからです。特に他人(家族も含め)からの注意に対しては、例え自分に間違いがあったと気付いても、予測を修正することに抵抗を感じます。このような場合、「権威」が非常に重要です。自分が尊敬できると感じている人(=権威)からの助言には、多くの方が耳を傾けます。このことは、予測の修正に便利かもしれません。他人からの助言によって、自分の予測に間違いがあると気が付いたら、 自分が尊敬できると感じている人の意見を調査もしくは相談し、その方の助言と捉えて修正に着手すれば良いと思います。なお、私はあまり頑固ではないので、そのような手続きは不要です!


余談13、予測と行動の間

予測と行動の間には対処方法の検討があります。予測は必ずしも一つであるとは限りません。予測が困難な事象に対しては多くの可能性が存在し、その対処方法の検討も多くの労力を必要とします。可能性のある事象が多く存在する場合、各事象への検討が手薄になりがちです。予測においては可能性の分析が重要であり、より可能性の大きな事象を選択し、その事象への対処を重点的に行うことが良いと思います。ただ、ピンポイントの予測は一般的に危険であり、幾つかのオルタナティブを準備検討しておくことが肝要であり、多分多くの方はそのように対処していると思います。ただ、それらのオルタナティブにはメリハリが肝心であり、起こりそうな事象の確率の検討に多くの時間を割く必要があり、またデータの収集にも客観性を持たせることが肝要であると思います。バイアスが掛からないように注意したいと思います。


余談14、予測と習慣

普段の行動に予測を意識しない理由の一つに、行動の多くが習慣によってなされるためと思われます。私たちの行動の多くは繰り返されます。食べること、寝ること、学校へ行くこと、会社へ行くことなど、多くの行動はほぼ同じことが繰り返されます。そのような多くの繰り返し行動は、学習によって習慣となり、改めて予測することなしに行動することができます。環境の多少の変化は微調整によって可能なので、予測を意識することなしに行動することが可能です。このことは、私たちの脳に大きな負担をかけないで行動が可能となるため、一見良い能力のように思われます。しかしながら、多分そのような能力が正常化バイアスを引き起こすのではないかと思います。習慣から外れる行為が必要になる場合に、習慣が邪魔をし、正確な予測ができなくなるのではないかと思います。優れた能力は時と場合によって、大きな失策を招きます。特に環境変化が大きいときに、以前の環境に合った能力は、新しい環境には仇となることがあります。恐竜は温暖な環境下で巨体となってその能力を発揮しましたが、環境が寒冷化すると巨体を維持できなくなり絶滅しました。生物はその最も優れた能力によって滅びると言います。人間が絶滅するとしたら、何によって滅びるのでしょうか?


余談15、予測と保険

人は保険という面白い制度を考え付きました。保険は予測を正確に行うことが困難であるが、ある確率で起こり得る不幸な事象について、共同で資金を出し合って、その不幸な事象に遭遇した人を救うシステムで、医療保険や損害保険があります。今では社会の安定のために無くてはならないシステムです。ここで問題はそのような不幸な事象が起こる確率です。自動車事故は毎年軽減し、人の寿命は延びています。よって自動車損害保険料や生命保険料は逐次減少するはずだと思いますが、そのような気がしません。保険会社は長年の事故率や寿命のデータから予測して保険料を算出しており、それらは政府によって管理されているため、多分保険料は正当なものであると思いますが、一般の人にはその根拠は示されていないと思います。少なくとも私は知りません。また自動車の安全性や自動化は逐次進歩しています。よって自動車保険料は逐次減少することになるような気がしますが?なお、私は医療保険の算出根拠については全く分かりません。どこにその資料があるのかも知りません。困った!

なお、保険制度が必要なのは、社会に十分な安定性が確保されてないためであり、保険制度を必要としない社会の実現が望まれるのではないでしょうか。


余談16、未来予測

バートランドラッセルは5分前仮説において、世界は5分前に生じたという仮説を完全に否定することはできないと言っています。論理を突き詰めるとすべてが懐疑的になり、過去のみならず未来をも存在しないことになってしまいます。でも多分(?)、過去も未来も存在することは事実であると考えて間違いないと思います。ただし、人類はいつまでも人類のままでいることはありません。生物は進化し続けます。人類が更に進化して新人類になるとは限りませんが、多くの方は人類が新人類に進化すると考えていると思います。多分、地球が「猿の惑星」になることはないだろうと思っていると思います。ただ、「技術的特異点(シンギュラリティー)…AIが人類に代わって文明の進歩を担う時点」については、かなり真剣に考える必要があると思います。当初、2020年代に訪れると言われていましたが、現状では2050年以降ではないかと言われています。もしその予測が正しいのならば、多分それまでに人類は新人類に進化してAIをコントロールできるようになっていなければなりません。日本ではデジタル庁が創設されるようですが、世界に後れを取っていないでしょうか?新人類はどこの国から生まれるのでしょうか?中国人が最初に新人類に進化する?恐ろしや!


余談17、最終の余談

なぜ、予測は困難なのでしょうか?なぜ、将来は確定していないのでしょうか?なぜ、不確定性の原理などという原理が存在するのでしょうか?なぜ、カオスやランダムのような、めんどうくさい事象が存在するのでしょうか?多分、神々は私たちに「試練」を与えたかったのでしょう。また、神々は私たちに「自由な裁量」を与えるために将来を確定しなかったのでしょう。人を鍛錬し、人に自由な将来を築くことができる余地を残すために、将来を確定しなかったのでしょう。ただ、何もかもが不規則で自由裁量が可能な余地があるわけではありません。神々は私たちに、ある確定された法則を提示しています。私たちには、その法則の中での自由裁量が許されています。ただ私たちは、その確定された法則のすべてを理解できていません。科学はその法則を解き明かすために最も有効な手段だと思います。そしてAIはそのための有効な装備であることは確かなことだと思います。しかしながら、AIに自由裁量の権利を与えてはいけません。それこそ、手塚治虫氏の「火の鳥 未来篇」のような事態になってしまいます。物は「使い様」です。使われてはいけません。